2019年4月7日(日)のメッセージ
「捨てられた隅の石」
(ルカによる福音書20章9~19節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 坂元幸子
受難節第五主日の今日はイエスさまがイスラエルにとって捨てられた石となったことを覚えます。彼らは自分たちが選ばれた民、神の救いにおいて特権を与えられている者だと信じていました。委託されていたぶどう園をいつしか自分の所有物のように思い込み、園の主人が送る僕(しもべ)をことごとく袋だたきにして追い返した農夫たちのように、彼らは主人の息子、すなわちみ子であるイエスさまを殺害するに至るのです。詩編118編22節にあるように、救い主イエスさまは、家を建てる者が不要として退けた石のように人々によって捨てられました。
しかし主なる神はその捨てられた石を拾い上げ、家を建てるのになくてならない最も重要な「隅の親石」として用いられたのです。「その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう」(9章18節)とは、人間のあらゆる企ては十字架と復活という神のなさる出来事の前に徹底してひっくり返されることを意味しています。
十字架の道は受難の道です。しかしその受難の十字架を通して神はイスラエルに、また全世界に、「驚くべき主の御業」(詩編118:23)を成し遂げられました。人生においても同様です。私たちが人々から見捨てられたような思い、あるいは無駄や徒労にしか思えない経験をする時、そこに主イエスは共におられ、 それらを拾い上げ、なくてならない重要なものとして用いて下さるのです。