メッセージ

2021年9月26日(日)のメッセージ

真の神殿の幻(ヴィジョン)

「それから、彼はわたしを東の方に向いている門に導いた。見よ、イスラエルの神の栄光が、 東の方から到来しつつあった。その音は大水のとどろきのようであり、大地はその栄光で輝いた。…主の栄光は、東の方に向いている門から神殿の中に入った。霊はわたしを引き上げ、内庭に導いた。見よ、主の栄光が神殿を満たしていた。・・・人の子よ、あなたはイスラエルの家にこの神殿を示しなさい。それが彼らが自分の罪を恥じ、神殿のあるべき姿を測るためである。 」
(エゼキエル書43:1~2.5~6、10:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)

牧師 坂元幸子

本日は私が藤沢バプテスト教会牧師(代表役員)として宣教を行う最後の日です。と言っても10月以降も協力牧師として宣教もほぼ隔週で担当しますので、厳密には最後というわけではありません。実際伊藤真嗣新牧師を迎える次週10月3日の主日礼拝宣教は主の晩餐の司式も合わせて私の担当です。その意味では何かが大きく変わるわけではありません。しかし、2009年以来12年半の働きにここで区切りをつけるという意味では、やはり本日は記念すべき日です。欠けと破れの多い至らぬ者を牧師として立て、今日まで祈り支えて下さった教会員の皆さんには心から感謝したいと思います。

12年と半年で印象深いのは新会堂建築です。2009年の着任時にはまだ何も見えませんでした。しかし天城での修養会や何度かの信徒会を重ねるうちに次第に皆の思いが一致へと導かれてゆきました。そして赴任4~5年目、2012年度には建築決議と連盟回転資金借入、翌2013年1月に旧会堂の取り壊し、着工、7月末の完成へと進み、藤沢教会の四半世紀の祈りはついに形になったのです。この時期3つの聖句が基盤でした。「今、よく考えよ、主は聖所とすべき家を建てるためにあなたを選ばれた。勇気をもって行え。」(歴代誌上28:10)、「今こそ、心と魂を傾けてあなたたちの神、主を求め、神なる主の聖所の建築に立ち上がれ。」(歴代誌状22:19)、「キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」(エフェソ2:22)

エゼキエル書40章以下終章の48章まで述べられるのは「新しい神殿の幻」です。エゼキエルがこの幻(ヴィジョン)を神さまから見せられたのは預言者としての召しを受けてから20年たった時で、捕囚から25年、エルサレムが破壊されてから14年目のことでした(40:1~2)。イスラエルの民の中にはかつての神殿を知らない者、また神殿での礼拝を経験したことのない世代も増えていたのです。そのような民に対してエゼキエルは新たな神殿の幻、それも事細かに寸法も指定された完璧な礼拝の場所のヴィジョンを告げるようにと神さまに命じられたのです。民が「神殿のあるべき姿」(43:10)を告げ知らされるためにはこれまでの自らの罪を悔い改める必要がありました。47章には神殿の敷居の下からは「命の水」が沸き上がっているとあります。この水の流れるところ汚れた海や川はきれいになりすべてのものが「生き返る」(47:9)のです。

私たちは建物としての礼拝堂の完成にあずかりました。ただ主の恵みです。しかし建物が真の礼拝の場となるのは主ご自身の栄光がそこに満ちる時のみです。礼拝は人間の業ではないからです。バッハは楽譜の最後にしばしばSDGと記しました。Soli Deo Gloria(ただ主にのみ栄光あれ)です。私もまた本日ここにSDGと記します。