2022年4月24日(日)のメッセージ
アテネでのパウロ
「神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。」
(使徒言行録17章27節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
使徒言行録17章では、パウロが訪れたアテネは、ギリシヤ文化の中心の町で、町の至る所で偶像礼拝が行われていました。パウロは「憤慨」(16節)します。
最近日本でも若い人の間で「神」と使う人が増えたと新聞の記事で読みました。たとえば「神ってる」と「神=スゴイ、優れている」という形容詞らしいです。「神曲」など、後ろに付けます。その背景には「人間中心」の考え方にあります。
神学者「ブルトマン」はこの箇所の説教で、偶像が町中にあふれているのは「人間の不安が表れている」と語っています。神々が増えるところ、祭壇が増えるところには人間の「不安」があるのだと。23節の「知られざる神に」という祭壇はその最たるもので「知られざる神に」さえ祈りをささげなければ、自らの身に災いが起こるのではないかという不安が人々を支配しています。
人間の不安は、宗教と密接に結びきます。不安に支配されそれが偶像礼拝に結びつきます。大切なのは「私たち」が「神さま」をどう見るかではなくて、この「神さま」が「私たち」のことをどう思っているか、どう見ているかということではないでしょうか。私たち側の問題ではありません。聖書は神さまは私たちを「愛している」と語ります。一人ひとりを、それぞれにかけがえのないものとしてみている、認めているということなのです。
「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。(一ヨハネの手紙4:18)」キリストの十字架から注がれる「愛」は私たちから恐れを締め出します。コロナの禍の中の先行きの見えない不安な世界にありながら、なお、キリストによって知られている神のゆえに私たちは恐れません。誰もが「恐れ」を持っていて、地上には「恐れ」だらけです。だからこそ復活の神を見上げ、その「愛」を知り、愛によって「恐れ」を砕いていただくのです。