メッセージ

2022年9月18日(日)のメッセージ

ダニエルの祈り

「憐れみと赦しは主である神のもの」
(ダニエル書 9章9節:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)

牧師 伊藤真嗣

ダニエル書9章から「預言」がテーマとして展開され、ダニエルは1節以降エレミヤ書が預言する間近に迫ったエルサレムの回復を願って断食をして、とりなしの祈りを捧げる内容が記されています。

一方で、問いとして私たちは「預言」に焦点を置きすぎて、大切なメッセージを見過ごしているのではないかと思わされることがしばしあります。コロナ禍では教会の活動と人材が減少すると、「これは試練だ、終末や預言、リバイバルの時だ」と言ってしまう気持ちは分かります、そうすることで気持ちが高まり一体感も生まれます。しかし最も重要なのは私たち自身がどう「信仰を持って受け止め」、「神さまに応答するか問われている」のであって、その現象ばかり先取りして強調することではないのです。

「わたしたちは神に背きました」(9節)という言葉から、ダニエルはこの祈りの中で、「われわれ」とか「わたしたち」という言葉を何回も使い、彼がいかに同胞の苦しみを自分の苦しみとして神さまに祈っていたか分かります。どんな時にもダニエルは神さまへの信仰を失いません。そしてここで熱心なダニエルの「とりなしの祈り」とは、「自分達のこと」を神さまに祈ることだと考え易いですが、しかし、真のとりなしの祈りとは、「神さまのこと」として受け入れて祈ることです。

幻の中で、ダニエルは神さまとの一対一にされた時、「主の御声に聞き従う」ということに対する悔い改めに導かれました。聖書全般において全ての祝福「主の御声に聞き従う」ことから始まります。そして「憐れみと赦しは主である神のもの」(暗唱聖句9節)と気付くのです。御言葉に立ち主に従いましょう!

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