メッセージ

2025年5月18日(日)のメッセージ

安息日にすること

「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。 だから、人の子は安息日の主でもある。」
(マルコによる福音書‬ ‭2‬章27‬-‭28‬節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 伊藤真嗣

本日のテーマは安息日ですが、現在でも安息日に労働を禁止されているイスラエルでは、ユダヤ教やイスラム教徒たちはエレベーターのボタンを押すのは労働になるので、安息日にはエレベーターは自動運転で全部の階に順番に止まっていくのだそうです。一方、私たちは安息日がなければ大変です。特に日本人は際限なく仕事し、逆に日常で体を休めて家族や友人や自分の息抜きを優先しないと心が休まりません。ある意味、神さまを一旦置いて、省みることもなく、ひたすら突き進んでしまいます。

イエスさまは「空の鳥をご覧なさい」と言われましたが、私たちは「高ぶる心」を置いて、安息日に招かれる私たちの目を神さまの世界、神さまの方向に向けてご覧なさいと言われているように思います。色々あった1週間が守られて、そして神の家族として一緒に礼拝の喜びに預かった時、自然と自らの「高ぶる心」よりも、「へりくだった心」が内に与えられ、私たちを包んでいる神さまのまなざしを感じながら、共に歩んでいく事が出来るのです。

イエスさまは、この日、私たち全ての者の罪を赦すために十字架につき、そして、永遠の命を与えるために復活して下さいました。これこそ、聖書が告げる「最大最高の恵み」でなくてなんでしょうか!この恵みに私たちは与かっています。今日この日の命を与えてくださっている事に感謝しましょう。罪ある私たちが、安息することで、キリストの御言葉に聴いた時、新しく神さまと共に歩む道が広がっていくのです。

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