メッセージ

2025年7月6日(日)のメッセージ

たとえ話をするということ

「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」
(マルコによる福音書‬ ‭4‬章20‬節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 伊藤真嗣

主イエスは、大切なことを教えるためによく「たとえ」を用いて話をされました。今日の個所には「種蒔きのたとえ」の話が記されています。主イエスはこのたとえ話を通して、私たちに何を教えておられるのでしょうか。

ポイントは「御言葉の実を結ぶ」ということです。種を蒔く人は、豊かな収穫を期待して種を蒔きます。そのように神様は、みことばの種を受け取る私たちが「実を結ぶ者となる」ことを期待しておられます。私たちにとって「実を結ぶ」とは、道端にある種も、御言葉に力を頂いて、励まされながら、弱い自分が少しずつ変えられて、一生涯かけて成長していくことです。

しかし実際は、私たちは「肉のわざ」(ガラテヤ5:19)に囚われて、人と比べて妬み心を抱いたり、上手くいかないことがあれば人のせいにしたり、人を赦すことができなくなってしまう、というようなこともあるかもしれません。私も若い頃、相手の言葉に傷付いて、精神的に落ち込んだ時期がありました。言い返せばますます相手との関係が悪くなります。「相手に責任を置く生き方」には、平安がないし、依然として「肉の人」のままであって、一向に成長していない、みことばの実を結んでいない、ということになります。果たして、自分が未だに「肉のわざ」に囚われていないか、自分自身の姿を「点検」する必要があります。

「これではいけない」、「自分を変えたい」と神さまに祈り求めていきたいと思います。しかし自分の力だけでは無理です。神さまを向いた時、弱い私たちを助け導いてくださいます。この御言葉の種をしっかりと受け取って、成長し、豊かな実を結ぶ者となりましょう!

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