2019年5月12日(日)のメッセージ
命のパン、イエス・キリスト
「あなたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人当たり一オメルを集めよ。それぞれ自分の天幕にいる家族の数に応じて取るがよい。イスラエルの人々はそのとおりにした。ある者は多く集め、ある者は少なく集めた。しかし、オメル升で量ってみると、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた。」
(出エジプト16章16節~18節:日本聖書協会 新共同訳)
「そこで、彼らが、『主よ、そのパンをいつもわたしたちにください』と言うと、イエスは言われた。『わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。』」
(ヨハネによる福音書6章34節~35節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 坂元幸子
イエス・キリストを信じることは人間にとって生きることそのものの根っこがまったく変えられることです。それは端的に言えば「食べて信じる」生き方から、「信じて食べる」生き方へと方向転換することです。
「食べて信じる」生き方とは、今朝の聖書箇所に出て来る主イエスの周囲にいる群衆です。彼ら彼女らはその前日、ガリラヤ湖の向こう岸で主が大麦のパン5つと魚2匹によって5千人以上の群衆の空腹を満たした出来事を経験していました。また人々は先祖であるイスラエルの民がかつて荒の野で天からのパンであるマンナによって養われたことを引き合いに出し、自分たちをいつも物質的に満たしてくれるパンを主イエスに求めたのでした。人々の心にあったのは信じるためのしるしを求めること、すなわち「食べて信じる」ことでした。現代でも大多数の人はこの「食べて信じる」生き方をしています。
主イエスは「人はパンだけで生きるものではない」と言われました。肉体を持つ人間は「パン」(=物質的必要)によって養われる必要があることを主はもちろんご存知でした。しかしパン「だけ」によって生きる生き方は絶えず次のパンを、次のパンをと飽くことなく求め続けるしかなく、決して心から満足することはありません。「信じて食べる」生き方とは、ご自身が「命のパン」であるイエス・キリストを信じ、神との関係に生きることです。主イエスはご自分のもとに来る者は 「決して飢えることがなく決して渇くことがない」と言われます。どうしてそんなことが可能なのでしょうか。それは、命のパンであるイエス・キリストを信じるとは、主イエスに在って新しく創造されることであり、神の永遠の命に生かされることだからです。聖書の時代も現代もみな物質的なパンは求めても、永遠の命のパン、イエス・キリストを求める人は少ないのです。しかし心から求める人を主イエスは豊かに祝福して下さいます。
「食べて信じる」「食べたから信じる」生き方から、「主イエスを信じ、永遠の命をいただいて生きる」生き方への方向転換。それは私たちの人生を根っこの部分から変えるのです。そして主イエスを信じる時、私たちは真の意味で自由になります。喜びを与えられます。希望で満たされます。そしてこの自由、喜び、希望を奪うことは誰にもできないのです。