メッセージ

2019年5月19日(日)のメッセージ

キリストが
 私たちを愛したように

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。・・・わたしはあなたがたを友と呼ぶ。」
(ヨハネによる福音書15章12~14節、15節c:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 坂元幸子

「互いに愛し合いなさい」、イエス・キリストは弟子たちに繰り返しこう命じられました。 それは聖書全体が伝える中心的なメッセージです。
ある時、どの掟が最も重要かと律法の専門家に問われた時、主イエスはこう言われました。「第一の掟は心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くしてあなたの主なる神を愛すること、そして第二の掟は隣人を自分のように愛すること。なぜならこの二つの掟こそ律法全体の基盤であるから。」(マタイ22:35~41:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

 主イエスに従う弟子たちはさまざま異なる背景や性格を持った者たちの集まりでした。彼らの大きな関心事は自分たちの中で誰が一番偉いのかということであり、このことでいつも議論していたことが書かれています(マルコ9:34、ルカ9:46:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)。十字架を前にした主イエスはこのような弟子たちのこれからの生き方の為に、繰り返しこう語ったのです。
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」

私たち人間は本質的に自己中心です。相手を思う心や相手の言うことを聞こうとする思いがないわけではありませんが、そのような良き思いも、しばしば自己中心の願いや欲に取って替わられます。相手から得られる利益や快楽だけを求めたり、相手を自分の願望や欲望の達成の道具にしてしまうのです。それは親子や夫婦の関係でも起こりえます。

主イエスは、そのような利己的な私たちのために命を捨てて私たちを「友」と呼んで下さいました。私たちは主イエスがなさったようにそのまま他者のために命を捨てることはできませんし、また、そうしなければならないと言われているのではありません。主が呼びかけておられるのは、「わたし(主イエス)があなたがたを愛したように」、すなわち主が無条件に私たちを愛して下さった、だから、そのような在り方であなたたち(=私たち)も他者と向き合っていく、違いを超えて相手を認め、お互いと出会っていく、という招きです。

この主の愛は私たち自身が他者との向き合いと出会いの中で実際に体験し、また実行する時、初めて生きたものとなります。だから「互いに」なのです。

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