2019年6月2日(日)のメッセージ
世の終わりまで、
いつも共に
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」
(マタイによる福音書28章16~20節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 坂元幸子
先週5月26日は飯塚道夫・良子ご夫妻によるさわやかチャペルコンサートでした。
コンサートの中で印象深く感じたのは、ご夫妻が、「独唱(歌)・朗読・落語」といったさまざまな形態を通して笑いを、また心に揺さぶる「言葉」を伝えて下さったという点です。
復活のキリストを伝え、教会を生み出して行ったのは、復活の主イエスご自身の言葉でした。今日の聖書は「宣教の大命令」(the Great Commission)として有名な箇所です。この語命令はしばしば4つの連続した命令として扱われます。「出て行け→民を弟子とせよ→バプテスマを施せ→教えよ」という4つです。しかし原語のギリシャ語で見ると、中心となる命令形は実は「あなたがたは、すべての民をわたしの弟子にしなさい」の一言で、あとの3つは分詞形です。つまり、継続して○○しながらという同時進行の状態を表しているのです。つまり「出て行き続けながら」、「バプテスマを授けながら」「主から聞いたことをすべて守るように教えながら」、私たちはあらゆる人々をキリストの弟子へと招くのです。
このご命令の直前に、キリストの復活を警戒している人たちのことが描かれています。墓に納めた主イエスの遺体を弟子たちが盗み出して復活したと言い降らすのではないかと恐れていた祭司長やファリサイ派の人たちです(マタイ27:63~66)。そのように恐れ警戒する人々は主イエスの言葉を聴こうとはしない人々でした。復活の主にまみえた弟子たちの中にも疑う者はいました(28:17)。イエスさまの名によって集まる、しかし、そこにいる全員が同じように信じているわけではありません。しかしそれでいいのです。そのような中に主イエスは事を起こされます。主イエスの言葉を聴き、その言葉に従う者たちを通して、働かれるのです。最も大切なのは、主イエスご自身が弟子たちといつも、世の終わりまで共にいて下さると約束しておられることです。いつも、とは「すべての日々」という原意で、イエスさまは、私たちの日常生活の毎日毎日共にいて下さる、インマヌエルの主なのです。この主イエスと共に私たちは日々歩むのです。
復活のキリストを伝え、キリストの教会を生み出して行ったのは、復活の主イエスご自身の言葉でした。復活の主の言葉には命があり、力があります。私たちもこの主の言葉に聴き従い、主イエスと共に日々歩む時、復活の主を宣べ伝える者たちとされるのです。