メッセージ

2019年6月9日(日)のメッセージ

一人ひとりの言葉で語る

「どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか・・・彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
(使徒言行録2章8節、11節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 坂元幸子

本日はペンテコステ礼拝です。ペンテコステはイースター、クリスマスとなでキリスト教会の3大主要祝祭です。ペンテコステとは「五旬祭の日が来て」(使徒言行録2:1)の五旬祭のことで、もともとは「5」ないし「50番目」を意味するギリシャ語です。

ユダヤ教には律法が定める過越祭、七週祭、仮庵祭の3大祭りがあります。この内七週祭は過越祭の安息日の翌日から数え始め、第七週を経た翌日までの50日を数えました。これが五旬祭です。元来は小麦の収穫を献げる日でしたが、バビロン捕囚による神殿崩壊以後ラビたちはこれをシナイ山における律法授与の祭りと解しました。本日の使徒言行録2章の聖霊降臨の出来事は、このペンテコステの日に起こったのです。

「一同が一つになって集まっていると」(2:1)は一致して礼拝する人々の姿を表します。
「激しい風、音、炎(のような舌)」は旧約聖書の神の顕現の際にしばしば登場する超自然現象を思わせます。すると礼拝していた人々は聖霊に満たされいろいろな国々や地域の言葉で語り出しました。「舌」も「言葉」もグローッサイという同じ語です。つまりペンテコステとは、「神の偉大な業」(2:11)が一人ひとりに分かる言葉で語り出された宣教の始まりの出来事であり、神の言葉(律法)がキリストの福音として一人ひとりの礼拝者に授けられた出来事だと言えるでしょう。

イエスさまは復活後天に昇られる際、弟子たちに約束されました。
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(1:8)
弟子たちはこの言葉に聴き従い、皆で心を合わせて祈って待ちました(1:14)。また、12弟子でユダが欠けた補充の一人を選ぶためにくじを引き、その結果マティアが選出されました(1:26)。つまり、聖霊降臨が起こる前、弟子たちは主イエスの言葉を信じて待つと共に、また自らの痛みある過去と向き合って新しい出発をしたのです。裏切った弟子といえば決してユダだけではありません。実は11人の弟子皆が何からの形でイエスさまを裏切ったのです。聖霊降臨の出来事は、そのような弟子たちの在り方、すなわち主の約束の言葉に聴き従って待つこと、また自らの欠けや痛みときちんと向き合うことを経てもたらされた神さまの時だったのです。

初めてのペンテコステから2千余年、今日は私たち自身のペンテコステを覚えます。私たちはみな、一人ひとりがキリストの福音を、それぞれ自分の言葉で語る力を神さまから聖霊によって与えられています。み言葉の宣教のために立てられた牧師やそのような賜物を与えられた信徒だけではありません。一人ひとりの私たち、すなわち老いも若きも、男性にも女性にも、社会的な立場を超えて(使徒言行録2:17~18、ヨエル書3:1~2のヴィジョンに注目!)、それぞれはイエスさまを証しする言葉を聖霊によって既に与えられています。皆さんお一人ひとりに与えられた人間関係、家庭や学校や職場等の関わりは、あなたを通してイエスさまの証しが届けられるために、神さまが備えて下さった人々です。聴く人たちが分かる言葉、聴く人たちに届く言葉を語れるのは、あなた自身なのです。

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