メッセージ

2019年7月14日(日)のメッセージ

ためらいを捨て、共に

「そのとき、カイサリアからわたしのところに差し向けられた3人の人が、わたしたちのいた家に到着しました。すると、“霊”がわたしたちに『ためらわないで一緒に行きなさい』と言われました。ここにいる6人の兄弟も一緒に来て、わたしたちはその人の家に入ったのです。」
(使徒言行録11章11~12節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 坂元幸子

使徒言行録は、主イエスの復活と昇天後ペンテコステ(聖霊降臨)を経て福音がヨーロッパ地域に広まって行く様子を描いています。福音は十字架と復活の場所であるエルサレムから始まり、迫害をも乗り越え、否迫害さえも大きな機会として用いられながら町から町へと伝えられて行きました。神の言葉が地理的に広まり、人的にも数を増していった時、そこで起こっていったことは、教会が信仰的にも大きく変化をとげていったという事実です。

直前の使徒10章にはカイサリアに住むコルネリウスという百人隊長の一家が、ペトロとの出会いを通して主イエスを信じバプテスマに導かれる顛末が記されています。それは、神さまのコルネリウスへの呼びかけと、同じくペトロに対する呼びかけが共に呼応して両者が出会うという双方向の中で起こります。その出会いとは、まずコルネリウスにはある日天使が遣わされ、彼の祈りと施しは神の前に届き覚えられた、ヤッファにいるペトロという者を招きなさい、と告げました。また同じ頃カイサリアより南のヤッファにいたペトロは幻を見、天が開き大きな布のような入れ物が四隅でつるされて地上に降りて来る光景に遭遇したのです。その中にはあらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていました。天からの声はペトロにそれらを屠って食べよ、と言いました。律法が定める清くない物、汚れた物は何一つ食べたことはないと抵抗するペトロに天からの声はまた言いました。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」(10:9~17)この出来事は三度もあったのです。

そうしているうちにコルネリウスの家から使いの者が来て、ペトロはカイサリアに出向きます。ためらいを抱えつつ出かけて行ったペトロはコルネリウスと出会い、幻で見たあの光景は異邦人コルネリウスが主イエスを信じ、聖霊を受けることだと理解するに至りました。ここ11章はこれらの出来事を伝え聞いたエルサレム教会の使徒たちが、エルサレムに上って来たペトロに対し、割礼を受けていない異邦人と食事を共にしたと言って非難したところから始まっています。それに対しペトロは10章で起こったコルネリウスとの出会い、また彼の家族も主を信じて聖霊を受けたことを、順序立てて説明したのです。

 この双方向の出会いが意味するもの、それは福音とは伝える者も伝えられる者も同様に変えていくという事実です。ペトロには異邦人に対する偏見や先入観がありました。しかし、コルネリウスとの出会いがそれを打ち破りました。エルサレム教会の福音理解も変えられました。福音は伝えられて行く時に、信じる人を起こし、その数を増やしますが、伝える側の信仰と福音理解をもまた、変えていくのです。そしてそれらの変化をもたらすのはほかならぬ聖霊の働き、神ご自身の先立ちです。

私たちは今年「キリストの福音を分かち合う」を主題に歩んでいます。私たちはどのような教会となることを目指して福音を伝えようとしているのでしょうか。私たちの既にある交わりに、向こうが仲間に入って来てくれる教会、私たちは変わらずに、むこうが変わることを期待する教会でしょうか。それとも私たち自身が殻を破り、ためらいを捨て、さまざまな異なる人々、年令も背景も経歴等も違う人々と出会うことを心から願う教会、すなわちその人たちとの出会いによって、戸惑いながらも自分たちが変えられていくことを喜べる教会、でしょうか?み言葉は、私たち一人ひとりにそれを問うています。

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