メッセージ

2019年10月20日(日)のメッセージ

信じて生きる

「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか。信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」
(ヘブライ人の手紙12章1節~2節a:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 坂元幸子

今朝の箇所はヘブライ書の中でも最もよく知られている11章からです。1章はこの言葉で始まります。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。」(11:1)
 続いて11章には、旧約聖書の登場人物がたくさん列挙されます。神を信じて生きた人たちの名前です。アベル、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、サラ、エサウ、ヨセフ、モーセ、ラハブ。創世記と出エジプト記、ヨシュア記に出て来る人々の名前です。そして32節以下に続きます。 まず6名の名前があります。最初の4人は士師です。ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、彼らはそれぞれに弱さや限界をもっていましたが、神を信じて生きました。ダビデはイスラエル二代目の王、サムエルはイスラエルの初代サウル王を任命した士師であり預言者です。幼い頃のサムエルが神さまに祈っている絵を見たことがある人もいるでしょう。

彼ら彼女らもまた、キリスト教会の信仰者に属する人々です。「約束されたものを手にいれませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者でることを公に言い表したのです。」(ヘブライ11:13)この人々は「おびただしい証人の群れ」、つまりキリストを証言する人々として、キリストの教会の信仰の系譜につながっているのです。

だから私たちは「すべての重荷や絡み着く罪をかなぐり捨てて」(1節)信仰の競争を忍耐強く走りぬくのです。罪はここでは長く重いコートや蜘蛛の巣のように絡みついて来て歩みを妨げるものとして描かれています。罪とはそうした性質があるのです。だから私たちは絡みついて来る罪を「かなぐり捨て」なけれならないのです。

「信仰の創始者、また完成者であるイエスを見つめながら」、これは目をしっかりと固定してまなざしをそこに注ぐ、という意味です。あちこちを見ないのです。視点をしっかりと据えて目を離さずにいるのです。なぜならこのイエスさまこそが信仰の戦いを、多くの試練の末に走りぬいた方だからです。
「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。」(黙示録2:10)

私たちの人生のゴールは人からの栄誉や世の誉れではなく、主にある命の冠です。多くの証人に囲まれて私たちもそれぞれの信仰の道を忍耐強く走りぬく者とされましょう。

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