メッセージ

2019年12月8日(日)のメッセージ

預言者の務め
~アドヴェント2週目を迎えて~

「王が『ミカヤよ、我々はラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか、どちらだ』と問うと、彼は、『攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります』と答えた。そこで王が彼に『何度誓わせたら、お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか』と言うと、彼は答えた。…」
(列王記上22章15b~17節a:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)

牧師 坂元幸子

アドヴェント(待降節)は神の救いの出現に対する待望と準備の時です。ちょうどレント(受難節)がイースターに向けて祈りと悔い改めをもって備える時期であるように、アドヴェントもまた、救い主の到来に向けて祈りと悔い改めの内に心の備えをなす時です。そして私たちはその備えのために聖書の預言に耳を傾けます。キリストの到来は預言の成就であるからです。

預言者はその時代の支配者・権力者に対して主なる神のみ心を告げました。今朝の聖書箇所のミカヤはエリヤと同じく熱心なバアル礼拝者アハブ王と対峙した預言者です。北王国のアハブ王はシリアとの戦いで南王国ユダの王ヨシャファトと同盟を組み、アラムの領地となっていたラモト・ギレアドを取り戻す戦争に打って出ようとしていました。王のお抱え預言者たちが王を喜ばすために口々に「ギレアドに攻め上って勝利を得て下さい。主は敵を王の手にお渡しになります」と言った時、ミカヤも同様に預言しました。しかしアハブ王はそれがミカヤの真実の言葉ではないことを悟り、「真実だけを語れ」とミカヤに促します。ミカヤは答えました。「イスラエル人は皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ』と言われました。」(17節)つまりそれは、アハブ王は戦死してイスラエルは王を失う、だから預言者としてミカヤは民を主なる神のもとに連れ帰る、という意味でした。

ミカヤが「主はあなたに災いを告げておられる」(23節)と真実の言葉で警告してもアハブ王は耳を傾けようとしませんでした。ご機嫌取りの言葉以外王の耳には入らなかったのです。アハブ王はギレアドの戦いに出て行きました。敵に狙われないように変装さえしました。しかし一人の兵が何気なく放った矢によってアハブ王はあっけなく戦死します。ミカヤに託された主の言葉はこうして成就したのです。キリスト降誕より850年ほど前の出来事でした。

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