メッセージ

2019年12月22日(日)のメッセージ

救い主のお生まれ
~クリスマス礼拝を迎えて~

「すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
『いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。』
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」
(ルカによる福音書2章13~16節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 坂元幸子

主イエス・キリストはベツレヘムで誕生されました。ヨセフとマリアはガリラヤの町ナザレに住んでいましたが、時の皇帝アウグストゥスが全領土の住民に対する住民登録を実施した為、ヨセフもダビデの家系に属する者としてユダヤのベツレヘムに上らなければならなかったのです。ローマ帝国の強大な権力と支配力は市井の人々の人生を翻弄しヨセフとマリアもまたその例外ではありませんでした。いつの時代も人間は大きな社会の枠組みの中で生きています。

ヨセフが身重のマリアを連れて長旅の末にやっとベツレヘムに着いても、無力な彼らには当然何の特別扱いもなく、泊まる場所を確保することさえできません(マリアは出産間近であったにもかかわらず)。当時の宿屋の中には洞穴を馬小屋として使う所もあり、石で造られた飼い葉桶に藁を敷いて貧しい子どもの寝床にしたそうです。新生児イエスさまが「飼い葉桶」に寝かされたという光景はそのような背景を想像させます。時の権力に翻弄される者、力なき者、 人々から相手にされない者の一人としてひっそりと誕生したイエスさまの姿です。

救い主誕生の知らせが、住民登録の対象にすらならない夜間労働者の羊飼いたちにまず知らされたのはきわめて当然のことでした。彼らこそその知らせを最初に聞くべき人々だったのです。泊まる場所を持たない神の子の姿、社会的に疎外された羊飼いへの知らせ、この二つの聖書記事は、「救い主降誕」という一見 きらびやかに見える神さまの出来事の本質を表しています。
それは、この世でいと小さき者、貧しい者、疎外された者と共に神はおられる(インマヌエル)という事実です。

天皇代替わりによる時代の変化、オリンピックを来年に控えた華やかさの裏で権力の持つ闇を色濃く感じる今、クリスマスの真の意味が私たちに迫ります。

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