メッセージ

2020年1月26日(日)のメッセージ

宣教の始まり
~協力伝道週間を覚えて~

「世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで行った。『だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。』イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。」
(ヨハネによる福音書2章9~11節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 坂元幸子

ヨハネ福音書が神の子イエスさまの「最初のしるし」としてカナの婚礼の出来事を記しているのは大変興味深いことです。村中の人びとが集まって来るにぎやかな結婚式は1週間続いたと言われ、貧しい当時の生活の中で貴重な祝宴の時でした。ふんだんにふるまわれる食事や飲み物はまさに神の恵みとしてそこにいるすべての人びとを満たしていたのです。そのような最中でぶどう酒が足りなくなる、これは一大事です。人びとの興をそぐだけでなく、結婚式を挙げた若いカップルや親族の今後の評判を著しく損ないかねない事件でした。しかも急を告げる母マリアへのイエスさまの言葉、それは息子とも思えぬ冷淡な対応にしか聞こえず、願いは却下されたかのようでした。
「わたしの時はまだ来ていません。」(4節)ところが神の出来事はその時既に始まっていたのです。

イエスさまはユダヤ人が清めに用いる石の大きな水がめ6つに目を留めると、召し使いたちに水をいっぱい入れるように、そして世話役のもとに運ぶようにと言われました。一見何の解決にもならない不可解な指示です。しかし召し使いたちは言われた通りに「かめの縁まで」水を満たし、運んで行きました。その時水は香り高いぶどう酒に変えられ、世話役は感心し、花婿を称賛したのです。私たちは皆この召し使いたちです。時が良くても悪くても窮乏を満たして真の解決をもたらすのはイエスさまご自身です。私たちがなすべきことは「縁まで水を満たすこと」、ただひとつです。

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