2020年3月22日(日)のメッセージ
この人のするままに
~受難節(レント)④~
イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、
それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしは
いつも一緒にいるわけではない。」
(ヨハネによる福音書12章7節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 坂元幸子
その日ベタニア村のその家ではイエスさまを中心になごやかな夕食の時が持たれていました。弟子たちはもちろん、イエスさまと親しいマルタとマリア、ラザロの姉弟もいます。このラザロは先日病気で死んでしまったのですが、イエスさまのお力によってよみがえらせていただいたのです。
イエスさまはこれからエルサレムに行かれます。そのイエスさまの雰囲気が何となくいままでと違う、マリアは気づいていました。何かとても大事なことを決断し、覚悟しているような表情でした。 マリアもあることを決意しました。それを行うのは今日でなければ。マリアは立ち上がりました。
「なぜ、この香油を300デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか!」弟子の中で会計係りだったユダがマリアに向かってどなりました。なぜ?彼女がとんでもないことをしたからからです。マリアは1リトラ(326g)で労働者の300日分の賃金にもあたる高価なナルドの香油をイエスさまの足に注ぎかけ、自分の髪の毛でぬぐったのです。何ということを!なごやかだった部屋の雰囲気は一気に凍りつきました。その時です。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのだから。」イエスさまがユダに静かに話しかけられました。「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」沈黙の中、香油の香りだけが部屋に満ちました。イエスさまはマリアに向かって微笑まれました。
レント(受難節)、それは主イエス・キリストが歩まれた十字架の道を日々覚えてすごす時です。
主イエスは私たちの救いのために、神のみ子としてその身を十字架で献げられました。マリアを叱りつけたユダのように、私たちはその真の価値も意味も分からないのです。この世の計算はマリアの献げものを無駄と退けます。主イエスの十字架もまた人々に退けられました。それは大いなる、聖なる「無駄」でした。しかしその「無駄」が私たちを救います。その愛が私たちを生かします。