メッセージ

2020年5月17日(日)のメッセージ

ナザレの人
イエス・キリストの名によって
立ち上がり、歩きなさい

「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
(使徒言行録3章6節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 坂元幸子

鳥たちが元気です。感染防止の「家ですごそう」運動が始まって以来、特に午前中、よく通る澄んだ鳴き声で鳥たちがさえずるのが近隣から聞こえてきます。その声は非常にはっきりと大きく、楽しげでさえあります。コロナ禍がもたらす影響の中で自然環境の問題が改善されていることが報道されています。インド北部の町では遠く離れたヒマラヤの山並みが数十年ぶりに見えたこと。ロンドンやニュ―ヨーク等の大都市でも空の青さがかつてない程きわだって美しくなったこと。これらの現象は自動車や工場の排ガスで汚染された空気が清浄化されたために起こったことですが、あらためて私たちの生活が、特に都市部で、自然環境破壊の下で成り立っていることを気づかせてくれます。私たちが日頃あたりまえと考えている風景、あるいはそのように慣らされている現実、そこには実は大きな課題が隠されていること。そのことにもっと気づかされてゆきたいと思います。

今朝の聖書箇所は礼拝に向かう途上で起こった出会いの出来事です。ペトロとヨハネが午後3時の祈りのために神殿に上って行った時、そこにはひとつのあたりまえの光景がありました。「美しい門」の傍らに横たわる、生まれながら足の不自由な男性の姿でした。彼はそこへ運ばれて来て神殿に出入りする人々に施しを乞うためにひとつのモノのようにそこへ置かれていたのです。それは毎日のことでしたからすっかり人々の目にはひとつの風景となってしまい、その存在を顧みられることはありませんでした。彼には「足の不自由な物乞い」という見えないレッテルが貼られ、この人をひとりの人間として見つめる目はそこにはなかったのです。彼自身もまた、日頃の繰り返しの中でペトロとヨハネをたくさんいる通りがかりの人としてしか見ておらず、誰にでもするように施しを乞いました。ところが、ペトロとヨハネは彼を「じっと見た」(4節)、それは、この男性をひとつの単なる風景として見るのではなく、深い悩みと苦しみをその中に抱え持った一人の人の存在として見つめることを意味していました。それは「いつもそこに置かれた足の不自由な物乞い」というレッテルではなく、ペトロとヨハネによってこの人が一人の苦しむ存在、社会的に抑圧されてきたいのち、神に創造された人格として見出された瞬間でもあったのです。二人は言いました、「わたしたちを見なさい。」そしてこの人がいままで聞いたことのない驚くべき言葉がかけられたのです。
「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」(6節)ペトロはこう言って男性の右手を取って立ち上がらせました。するとたちまち、この人の足やくるぶしがしっかりし、躍り上がって立ち歩き出したのです。

3節から5節の短い間にある4つの「見る」という動詞はすべて異なる言葉が使われているそうです。そのくわしい区別はここではふれませんが、注目したいのは4節の2つの「見る」、つまり「ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て」、それから「わたしたちを見なさい」です。前者には相手の中にある苦しみや社会の不条理を見てとる「見る」、後者には、「私たちに心を向けなさい。心で感じて見なさい。私たちにしっかり向かい合って見なさい」という「見る」の意味が込められているのです。十字架と復活のイエスさまの名を帯びて聖霊によって派遣された使徒たちが、自分たちを見よ、自分たちを通してイエス・キリストを見よ、と呼びかけたのです。十字架の下ではイエスさまを知らないと言って逃げた彼らが、自分たちを愛して死に、復活されたイエスさま、自分たちを赦してこのように立たせて下さるイエスさまのお名前を、最も大事なものとしてこの人に手渡したのです。立ち上がり歩き出した男性は二人と一緒に神殿へ入って行きました。礼拝する者として。

日常であたりまえ化されているものやことについて先ほど述べました。この男性は生まれてこのかた受け身のままの人生でした。運ばれ、神殿の門のそばに置かれ、人々が何か自分にくれることだけを期待する。それが彼の「あたりまえ」でした。また周囲の人々もそんな彼が「あたりまえ」の光景の一つでした。しかしイエス・キリストのみ名は彼を立ち上がらせました。自分の足で歩かせました。そして神への賛美を彼の口に与え、礼拝する者とされたのです。彼はキリストの名によって生きる者、新しい「あたりまえ」の自分を与えられました。周囲の人々が非常に驚くほどに。

イエス・キリストのみ名によって生きる時、私たちは勇気を、喜びを、希望を、感謝を、賛美を、そして他者への思いやりを与えられます。もしあなたが今悩みや課題の中で座り込まざるを得ない状況なら、イエス・キリストのみ名に信頼して立ち上がりましょう。歩き出しましょう。賛美しましょう。礼拝しましょう。その時、あなたは他の人にイエス・キリストのみ名を伝えているのです。

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