メッセージ

2020年6月28日(日)のメッセージ

主と共に生きる

「わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」
(テサロニケⅠ 5章10節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 坂元幸子

テサロニケ教会の人々は動揺していました。人々はこれまでイエスさまの来臨が今日か明日にでもあると固く信じ、差し迫った緊張感の中で日々生活していたのですが、なかなか再臨の気配が見られなかったのです。しかもそのような中教会の仲間が一人二人と「眠りにつく」(13節)、つまり亡くなる現実も起こってきて、人々は信仰の土台をぐらぐらと揺さぶられました。「一体これからどうなるのだろう、何をどう信じたらいいのだろう」、そのように悩む人々の中には失望のあまり怠惰な生活に陥る人もいて、教会は混乱しました。人々は切実な悩みをパウロに対して打ち明けました。 それはイエスさまの十字架と復活の出来事から20年程経過した、紀元50年頃のことでした。

それまでの信仰の土台が揺らぎ、不安と疑い、恐れと失望の中にいたテサロニケ教会の人々に、 パウロは繰り返しひとつのことを告げています。それは「イエスさまが共におられる、これが一番大事!」というメッセージです。今朝の聖書箇所、Ⅰテサロニケの4章13節から5章11節には、「主と一緒に・主と共に」という言葉が段落の切り替えごとに3回出てきます(4:14、5:17、5:10)。そしてこれこそパウロが何よりも伝えたかった信仰の核心でした。主の再臨の実現が明日であろうと2千年先であろうとイエスさまがいつも共にいて下さること(インマヌエル)こそが最も重要な神さまの約束です!パウロはテサロニケ教会の人々にそのことを力強く語り伝えました。

私たちは皆、実はそれぞれの信仰理解や体験を持っていて、それらによって日頃安心の根拠を得ています。しかし何かが起こる時、特に予想外の状況や変動に襲われてその根拠が揺らぐ時、私たちは信じて来たことそのものさえも疑わしくなり、悩みと迷いの迷路に入ってしまうのです。テサロニケの人々にとって再臨は信仰の大きな土台でしたが、パウロはそれ以上に重要な土台は「私たちが目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになること」(5:10)だと励ましたのです。主と共に生きる!主が共に生きて下さる!信仰の真の根拠はこれをおいてはほかにありません。

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