メッセージ

2020年7月5日(日)のメッセージ

いつも喜んでいなさい

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
(テサロニケⅠ 5章16〜18節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 坂元幸子

テサロニケⅠには「3つの大切なこと」がいくつか見出されます。「信仰・愛・希望」(1:3)、「力と聖霊と強い確信」(1:5)、「お互いの愛・すべての人への愛・わたしたちのあなたがたへの愛」(3:12)、「信仰と愛と救いの希望」(5:8)、「霊・魂・体」(5:23)などです。中でも最も有名、かつ親しまれているのは今朝の箇所、「いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する」の勧めです。

この箇所は多くの場合ここだけが切り取られて抜き出され、「クリスチャン個人の日々の道徳的生活」のモットーのように用いられてきました。しかしテサロニケ書の全体の中でこの箇所の持つ意味をきちんと読み取るなら、そのめざすところは「個人の徳」ではなく「共同体の交わりの関係」にあることが分かります。つまり「教会」が「お互いの間でも、すべての人に対しても」いつも行うべき「善」の具体的な内容の勧めがこれなのです。ちなみにこの5章12~28節には「兄弟たち」が3回出てきますが、これは教会の人々全体への呼びかけで、男の人たちだけではない、「兄弟と姉妹」を意味する言葉です。昨年出版された日本聖書協会共同訳は「きょうだいたち」と平仮名表記で訳し出し、教会とは男性と女性が共に平等な関係にある交わりであることを表現しています。

さて教会の交わりでもすべての人々との関係でもキリスト者の「善」として日々実践すべきこと、それが「いつも喜び・絶えず祈り・どんなことにも感謝する」ことです。実はこれは3つで「ひとつ」なのです(18節「これ(単数)」)。私たちの日常の生活には喜べないことが満ち、祈りの言葉を失う絶望感に覆われ、感謝するには腑に落ちないことばかりの理不尽な現実があります。その中でこの「善」を実践していく勧めは、決しての現実からの逃避や浮世離れした楽観主義ではありません。この世界の中で既にキリストは十字架と復活によって神の国を到来させ、この「私」の罪や拒み、不誠実を赦してその身に引き受けて下さり、他者と共に生きる者へと方向転換させて下さいました。その「主に在る現実」に気づく時、私たちはこの「善」を生き生かされる者となるのです。

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