メッセージ

2020年8月23日(日)のメッセージ

御胸の痛み

「まだ幼かったイスラエルを わたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした。」
(ホセア書 11:1:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)

東京バプテスト神学校専攻科 李在浩

私たちへの神様のご愛とは?

1.アハブのご愛:1節(上記)神様はイスラエルを特別な関係、息子に対する父の愛の関係を述べています。ここで神様が仰せられているこの愛とはヘブライ語でアハブと言います。 私たちがイエス様を信じ神様の子どとなったのは、完全に神様が私を愛してくださったからです。

2. 見守られるご愛:3節「エフライムの腕を支えて歩くことを教えたのは、わたしだ。」
出エジプトしたイスラエルを正しい道へと導かれたのです。この時はイスラエルは神様の見守りが常に必要な状態だったのです。4節「わたしは人間の綱、愛のきずなで彼らを導き」
神様が呼ばれて、見守って下さるご愛を見せとき、イスラエルの反応は? 

2節「わたしが彼らを呼び出したのに、彼らはわたしから去って行き、バアルに犠牲をささげ、偶像に香をたいた。」 神様が呼べば呼ぶほど彼らは逃げていったのです。神様はご自身のしもべたちを熱心に送って、立ち返りなさいと言われました。立ち返れば 傷ついた傷を包んであげて、癒してあげようとされたのです。でもイスラエルは神様がどのようなお方なのかを知ることができなかったので、神様から遠ざかるしかなかったのです。

2.あきらめないご愛:6節「剣は町々で荒れ狂い、たわ言を言う者を断ちたくらみのゆえに滅ぼす。」そのたくらみとは何なのでしょうか? 神様に信頼せず、自分の手段と方法によって生きてみようとする北イスラエルの高慢な姿です。この世の人々は、神様がいなくても、いくらでも自分の手段と方法通りに生きていけると考えます。8節「ああ、エフライムよ、お前を見捨てることができようか。イスラエルよ、お前を引き渡すことができようか。」 イスラエルへの神様の愛の御心は胸を焼かれたようです。8節の後半部に「憐れみに胸を焼かれる。」何のために? 私たちが救われるために、私たちを生かすために、罪のうちに死ぬしかなかったたましいを、もうこれ以上無視することが、神様はできなかったのでした。

選ばれた民、選ばれた子どもたちを生かすために、神様はご自身の愛する御子イエス・キリストを私たちの贖いの代価として与えられたのです。

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