メッセージ

2021年10月24日(日)のメッセージ

豊かな平和に

暗唱聖句「王が助けを求めて叫ぶ乏しい人を助けるものもない貧しい人を救いますように。」
(詩編72:12:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)

牧師 伊藤真嗣

詩編72はダビデの「晩年の祈り」です。
5節で「王が太陽と共に永らえ、月のある限り、代々に永らえますように。」と、ダビデは王である息子ソロモンにとりなしの祈りをしています。ダビデと子であり王であるソロモンとの関係は深い特別なものだったのでしょう。王である前にダビデにとっては1人の大切な息子であったソロモン。

ここで「親子の愛」という視点で考えると、ソロモンとダビデは複雑な関係でもあります。そのような中でダビデは息子ソロモン王のために祈りをささげています。
このように、ダビデが新しい時代の、新しい王である子ソロモンに対して親の愛情を持ちつつも、一方で真のリーダーとしての願いを込めて祈っていることが分かります。ですから詩篇72はそんな子を思う、ダビデの愛の手紙・詩なのでした。

ダビデは詩編72の1、2節では「正義」「公正」さが、真の王の資質だと語ります。(1、2節)それと同時に、まことの王は、貧しい者や悩める者に寄り添い、救い出すと述べています。しかし現実の世界はどうでしょうか。

聖書教育にはこうあります。
「王の仕事は人々の間を『裁く』というと断罪しるようなイメージですが、言葉本来の意味は「神さまのものさしで計る」という意味です。王が神さまの基準で考えることができますように、そのようにこの歌い手は王を祝福し祈ったのです」(聖書教育青少年科P35引用)
わたしたちはついつい「自分の物差しで計る」ことをしてしまいます。そうなると、その時の考えや立場や、気分などで、その計りは変わってきてしまうのです。しかし「神さまの物差し」は、いつも不変であり、揺るぎません。というより、そもそも「神さまの物差し」にはメモリはついていないのではないでしょうか?その人が優れているとか、劣っているとか計るメモリなんてないのです。全て「良し」とするのが「神さまの物差し」なのです。

「あなたは貴い」という基準で判断され、愛されるからです。また、物差しは計ると同時に「線を引く」役割もあります。「神さまの物差し」はユダヤ人も異邦人も線引きしません。線を引かない物差しなのです。どこでも「隣人」となって行きなさいと、「神さまの物差し」は、わたしたちにも語られています。ソロモンもそのような王として人々を「裁く」ことができるように、知恵を与えてくださいと、父は祈るのでした。

現在コロナ禍の中で世界がかつてない危機に直面していますが、まず私たちは神や神の家族である隣人との平和を通して、ダビデが愛するソロモンを祈ったように、真の豊かな平和を求めて歩みたいと思います。

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