メッセージ

2021年11月7日(日)のメッセージ

光が射すと

「御顔の光をあなたの僕の上に輝かせてください。あなたの掟を教えてください。」
(詩篇119編135節:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)

牧師 伊藤真嗣

本日は幼児祝福式を迎えました。昨年度はコロナの状況の中で中止となり、さまざまなことを経験しながらも、この日を迎えられたことを神さまに感謝し、共に喜び合いたいと思います。

「しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」(マルコによる福音書 10:14)
手を置く行為は、先日の按手学習会でも学びましたが、按手(礼)は手を置いて祈り続けることが大切で、「信仰を受け継ぐ」祝福の意味があります。先達者の教会の祈り、思い、願いを込めて、新しい世代への祝福へと信仰のバトンが繋がるのです。そしてイエスさまはこのように抱き上げて幼子を大切にされます。藤沢教会の子どもたち一人ひとりが神さまのお守りの中で健やかに成長していきますように祈ります。

また本日の詩編119編は「アクロスティック詩編」と呼ばれており、それぞれの段落がヘブル語のアルファベットの順になっているのが特徴です。詩編中、最も長い章で176節から成っています。8節ずつの22段に分けられていて、その8節ずつが各々その属する同じアルファベットで始まっている壮大ないろな歌の一定の形式をとっている詩となります。

119編には、「道」(デレク)という言葉が20回出て来ます。(旧約聖書で706回、詩編では66回)神と人との関わりにおける「道」とは、霊的な旅路を意味し「神の道を歩むこと」、つまり主の律法に従って歩む大切さを示しているのです。私たちの歩みが完全なのではなく、神の御言葉が完全なのであり、私たちはそれを完璧にこなせるわけではありませんが、しかし、たとえ踏み外すことがあっても、絶えず御声に耳を傾けるなら、主は私たちを正しい道へ導いてくださるのです。

「あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。」(詩篇119編105節)
口語訳ではわたしの歩みは「わがあしのともしび」と訳されており、日々の歩みを確かなものとするものであり、「道の光」、すなわち私たちがどこに向かって歩んでいるのかを確かにするものであることを語っているのです。

人生の真っ暗な中にあって、どれだけ光のことを考えてもわからないことがあります。しかし聖書の御言葉の光に照らされ開かれていくとき、私たちの人生は豊かなものとなるのです。本日は幼児祝福式ですが、お一人お一人が「ひかりの子」として、キリストの光が当てられて祝福されますようにお祈りいたします。

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