メッセージ

2021年12月12日(日)のメッセージ

彼こそ、まさしく平和シャローム

「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。・・・・・・彼は立って、群れを養う。主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。今や、彼は大いなる者となり、その力が地の果てに及ぶからだ。彼こそ、まさしく平和(シャローム)である。」
(ミカ5章1,3-4a:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)

協力牧師 坂元幸子

アドヴェント三週目、ローズ色のキャンドルが灯りました。ローズ色のキャンドルは 「喜び」のキャンドルです。今朝はミカ書からクリスマスの喜びの預言を聞きましょう。

喜び① 救い主はベツレヘムで生まれる。
新約聖書のマタイによる福音書2章には東の国の占星術の学者たちが輝く星をたよりにはるばるやって来た場面でこの預言の言葉が引用されています。学者たちはユダヤ人の王がお生まれになることを星によって告げられました。しかし彼らが着いたエルサレムの王宮に救い主はいませんでした。救い主はベツレヘム(「パンの家」の意)に生まれる、それがミカの預言でした。華やかな都の王宮ではなく小さな寒村ベツレヘムの家畜小屋でイエス・キリストは誕生したのです。

喜び② 救い主はいと小さき者の中から生まれる。
ベツレヘムは古くはダビデ王の誕生地でした。ダビデは8人兄弟の末っ子で羊飼いの兄たちの手伝いをしていました。神さまは見るからに立派に成長した兄たちではなく、もっとも幼い少年ダビデをイスラエルの二番目の王に選ばれました。神さまの選びはこのように小さな者に向けられます。力を誇りいつも一番手に躍り出る強い人ではなく、人々が目もくれないささやかな存在、いつも後回しにされる小さな存在に、神さまの慈しみと恵みの目は注がれるのです。

喜び③ 救い主は神さまの平和(シャローム)そのものである。
ミカと同時代の預言者イザヤは来るべき救い主を「平和の君」Prince of Peace と呼びました。聖書の原語で平和は「シャローム」です。シャロームとは神さまだけがもたらすことのできる平和で、単に戦争がないとか対立しないで仲良くするという以上の意味があります。シャローム、それは欠けのない完全な輪にもたとえられ、すべてのいのちが苦しみ悲しみから解放され、どんないのちも等しく大切にされる関係のことです。シャロームの平和は誰もが共にいることを喜び合い、互いに愛し合い仕え合います。いかなる差別や偏見や敵意からも自由であり、憎しみや自己中心は入る隙間がありません。イエス・キリストはこのシャロームを十字架を通して実現し、すべての隔ての壁を取り壊したのです。

次週はいよいよクリスマス礼拝です。私たちの心は自分の思いでいっぱいいっぱい、 シャロームからはほど遠い状態かもしれません。しかしそのような心にも、否そのような心にこそ、イエスさまは来られるのです。喜びを携えて、シャロームをもたらす為に。

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