メッセージ

2021年12月19日(日)のメッセージ

すべての人を照らす
いのちの光

「言のうちに命があった。命は人間を照らす光であった。」
(ヨハネ福音書1章,4節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 伊藤真嗣

クリスマスを待ち望む季節、アドベントも第4週、いよいよクリスマス礼拝を迎えました。一方で今年は昨年に引き続きコロナの影響があり最近ではオミクロン株ということも言われています。しかし世界の問題の複雑さを覚えて、祈り、悩み、うめくときに、「主の希望」が始まります。私たちはそのような中で、絶望に向かう変化と、希望に向かう変化の両方を落ち着いて見分ける必要があります。すべての変化には両面があります。悩みのただ中で、そこにこそ「新しい創造」の芽生えが見られます。主にある新しい創造の光のきっかけとされるように共に祈りましょう。

ヨハネ福音書の冒頭はこのようにして始まります。「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神とあった。」(1~2節)ヨハネはイエス・キリストを「ことば」と表現し、天地創造の時からおられたことを宣言しています。また「光」とも呼んで、この世の闇に打ち勝ったと宣言します。ここでいう「言(ことば)」は原文では「ロゴス」というギリシャ語です。もともとは「ロゴス」というギリシャ語には、理性、論理、評価、定義などの意味がありますが、その言葉をヨハネ福音書記者は、特別な意味を込めて使ったのです。それはこの世界に来られる前のイエス・キリストを、イエス・キリストという名前を用いないで、言い表すということでした。それが「ロゴス」という言葉なのです。

「言(ことば)」という表現は、「光あれ」という創世記1章を意識したものです。(創世記1章1節)つまり、神がこの天地を創造された時、すでにこの世界に対する、歴史に対する、そして人間に対する神の意志があったのです。神の意志が、言葉を通して現実となった時、天地創造という出来事が起こったのだと、創世記は告げます。神は意志をもって世界を創造された。その神の意志を、的確に伝えるために、言(ロゴス)が存在しました。そして最後には、その神の言そのものであるお方が、肉をとって、私たちのもとに来られた。神の意志を遠回しではなく、十分に伝えるために、形を取って、来られた。それがクリスマスのメッセージなのです。「その言に命があった」と続きます。生きているのです。生きている「ことば」。命をもつことば。命の源であると言ってもいいでしょう。「言によってできたものは命であった」という訳もあります。神はいろいろなものを創造されましたが、一番の創造とは、やはり命ではなかったかと思うのです。

「暗闇は光を理解しなかった」(5節b)口語訳聖書では、「闇はこれに勝たなかった」と訳されています。これは、闇の方が光よりも劣っている、闇は光に及ばないということです。光の方が闇にまさっているのです。ヨハネ福音書はことば、光など多様な不思議な表現で溢れています。そしてヨハネの手紙には、「神は愛です(4章16節)」という言葉があります。これは、「神は愛を持っている」とは異なって、神の本質が愛であって、愛ではないものを神は持っていない、ということになります。

たとえわたしたちが生きる世の中が、闇に包まれようとも、光の方が将来を指し示しており、そこに、神さまの天地を創られた目的があり、そしてそれをはっきりとわたしたちに伝えるために、十字架のイエス・キリストをこの世界に遣わされました。新しい年に向かって主の新しい「希望」が芽生えています。そして改めて、このように救い主が生まれた恵みを感謝したいと思います。

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