メッセージ

2021年12月26日(日)のメッセージ

この方こそ神の子

その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが歩いて来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。・・・わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
(ヨハネ福音書1章,29~30、34:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

協力牧師 坂元幸子

2021年も残りわずかとなりました。今週末には新年2022年がやってきます。この一年は藤沢バプテスト教会にとって大きな歴史の転換点でした。と同時に、それは単に「でした」と過去の話ではなく、今もずっと転換し続けているまっただ中の出来事だと言えます。5代目牧師・伊藤真嗣牧師の着任に続いて新年は伝道開始60年を迎えます。

歴史の転換点と言えば、今朝の聖書箇所もそのような意味を含んでいます。「その翌日」で始まるヨハネ1章29節はその直前、バプテスマのヨハネが人々に問われて自分が何者であるかを告げた出来事と深く関係していることを示します。ヨハネはヨルダン川で悔い改めのバプテスマを授けていました。それを見て人々は彼に、あなたはメシアか、それともエリヤのような預言者の再来かと尋ねたのです。ヨハネは答えて言いました。「私は荒れ野で叫ぶ声、主の道をまっすぐにする者だ。私の後からくる方がおられ、その方は私よりも先にいて、私にはるかにまさる方なのだ。」(ヨハネ1:19~30)。

翌日、主イエスが自分の方へ来られるのを見たヨハネははっきり告げました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」新しい時代の到来を告げる宣言です。人々がそれとは気づかぬ中で天地創造以来の神の出来事が音もなくひそかに、しかし確実に実現したのです。それ以前の時代、人々は自分たちの数々の罪を贖(あがな)って身代わりとなる犠牲のいけにえを神にささげました。ヨハネが「世の罪を取り除く神の小羊」と証言した時、その「罪」とは個々のあれこれの罪ではなくただ一つの罪のことでした。すなわち人類の根源的な罪、つまり創造主である神との断絶状態を意味します。主イエスはその罪を取り除く神の義性の小羊、苦難のしもべ(イザヤ53章)として世に来られたのです。

バプテスマのヨハネは知っていました。自分の務めはこの方を人々に紹介し指し示すこと。すなわち「この方こそ神の子である」と証言することだと。だから彼の施すバプテスマは「悔い改め」のバプテスマであり、主イエスの名によるバプテスマは「十字架の死による救いのバプテスマ」、つまり「聖霊」のみ業なのです。「聖霊のバプテスマ」とは熱狂的で特殊な体験のことではありません。「主イエスのみ名による救いの出来事に与るバプテスマ」であり「主イエスの死と復活に与るバプテスマ」のことなのです。

主イエスにおいて新しい時代が到来しました。「だからキリストと結ばれる人はだれでも新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り新しいものが生じた。」(Ⅱコリント5:17)これは時計の針が2021年から2022年に変わる以上の神の出来事です。私たちもバプテスマのヨハネのように主イエスを証しし、紹介する務めを与えられています。来るべき新年、私たちのキリスト告白がさらに明確に豊かにされてゆきますように。

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