メッセージ

2022年1月9日(日)のメッセージ

罪人つみびとをまねくために

「そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、『わたしに従いなさい』と言われた。彼はイエスに従った。(中略)イエスは…言われた。『医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。』」
(マルコによる福音書2章14,17節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

協力牧師 坂元幸子

新年も10日近くなると「いつもの」生活リズムに戻ります。「今年こそ」という抱負や決意も日常生活に飲み込まれ、繰り返しの日々に再び埋没し始めます。仕事や学生生活などではいつものペースに戻るのはむしろ必要なことでしょう。毎日の繰り返しはそれはそれで大切だからです。しかし毎日「自分はこれで良いのか」と悩んでいる人にとっては「いつものリズム」に戻ることはかえって悩みが倍加することかもしれません。

ある日アルファイの子レビは収税所に座っていました。それは彼にとって「いつもの」リズム、毎日の生活でした。しかしある日通りがかりにレビに目を留める人がいました。この人の目とレビの目が合った時、レビはこの人が語りかけるのを聞きました。「わたしと一緒に来ないかい?」レビはすぐに立ち上がり、この人に従って行きました。徴税人レビの心の奥底に潜んでいたぼっかり空いた穴を、この人~イエスさまのまなざしと招きが豊かに満たしてくれたのです。「そうだ、この方の招きに応えて従って行こう!」レビはイエスさまと共に歩み出し、彼の生活は新しいリズムを刻み始めました。

イエスさまに従う新しい生活の喜びはレビの中で溢れ出し、イエスさまを招いた食事に多くの友人をさそいました。レビの家は人でいっぱいになりました。その誰もが以前のレビ同様、日々生きにくさを抱えていた人たちばかりです。彼ら彼女らは世間から「罪人」のレッテルを貼られ、自分たちは社会に受け入れられていないと感じていたのです。イエスさまを囲むにぎやかな食卓でみんなの何とうれしそうなこと!・・・それを見たファリサイ派の律法学者たちが弟子たちに言いました。「なぜあの人はこんな連中と食事をするのか。律法を守らない人や律法を守れない輩(やから)、つまり『罪人(つみびと)』の連中と決して付き合わないのが律法の教師の正しい生き方ではないのか?」

イエスさまは答えます。「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは正しい人を招くためではなく罪人を招くためである。」苦り切った律法学者たちとは対照的にイエスさまはあくまで自由でのびやかです。「この人たちはこれまで『罪人』だと世間に決めつけられて日々苦しんでいた。彼ら彼女らはこの世の偏見と誤解の中で生きにくさを抱えてきた人たちなのだ。ちょうど具合のよくない人が医者を必要とするように、この人たちには私が必要だ。私はこの人たちの悩み苦しみを共に分け合い、彼ら彼女らを悩み苦しみから解き放つためにこそ来たのだ。」・・・

収税所に座り込んでいたレビは立ち上がってイエスさまに従いました。新しい生き方がレビの中で「いつもの」リズムとなり、そこから新たな人生が形作られて行きました。
このレビは、マタイ福音書ではマタイ自身のことだと証しされています(マタイ9:9)。

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