2022年1月16日(日)のメッセージ
ここにわたしの家族がいる
「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」
(マルコによる福音書3章35節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
去年、コロナ禍ステイホームで映画を観る機会が増えました。「3丁目の夕日」「男はつらいよ」などには、昭和の懐かしいノスタルジーな雰囲気をしみじみと感じます。このような私たちが持つ理想の家族像に対して、イエスさまは弟子達に神の国に伝道のためには人間愛(ヒューマニズム)を越えて私に従いなさいと語ります。しかし私たちと同じように、イエスさま自身も家族との葛藤を抱えていました。
「イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた」(31節)
母や兄弟たちは、家の中に入ってきてイエスさまの話しを聞いて取囲んでいる弟子や群衆の所に来ないで、「外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた」のです。自分たちで行こうとしなかった。つまり自分たちでイエスさまの言動を確認しようとせず、自分たちの目でその様子を見ようとしませんでした。「外に立って」いたのです。イエスさまのことを外から眺め、そのことをこの目で確かめ、その言葉をこの耳で聞こうとしていません。
「外に立つ」という表現は、そこに飛び込もう、その中に入っていこうとしないで、一線を引いてしまって客観的に見ている姿の象徴です。イエスさまを外から眺め、その教えを批評したり判断したり、評価したりする態度では、神の家族にはなれないのだということを、ここでイエスさまは語られているのだと思うのです。本当の家族とは、イエスさまの「外」ではなくて、その「足元」に集められ、その語られる「言葉」に耳を傾けることのできる者たちだということなのです。それこそが、「主イエスと共にある家族」なのだということです。イエスさまの「中」に自分から入らなくてはならない。「中」に入って、イエスさまのおっしゃる言葉を聞き、それを中心に、そのことによって全てを判断する、それが基準となる。それが本当の「家族」なのです。
「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(34,35節)。ここで、主イエスの本当の家族とは誰なのかという、すばらしい「招きの言葉」が語られています。御心を行う人です。
確かに私たちは自分が神さまの家族としてふさわしいか、というと、決してそういうことは言えないと思います。しかし、イエスさまがそういう私たちに気付いて、お招きになり、イエスさまが私たちを神の家族としてくださるのです。私たちは自分の力や頑張りで神の家族になることはできません。イエスさまが私たちを神さまの家族としてくださるのです。私たちはそのイエスさまの愛と恵みの中に入れてくださることに感謝して、喜んで応えていきたいと思います。