メッセージ

2022年1月23日(日)のメッセージ

五つのパンと二匹の魚

「そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。『ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。』これに対してイエスは、『あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい』とお答えになった。弟子たちは『わたしたちが200デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか』と言った。イエスは言われた。『パンは幾つあるのか。見て来なさい。』弟子たちは確かめて来て、言った。『5つあります。それに魚が2匹です。』」
(マルコによる福音書6章35〜38節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

協力牧師 坂元幸子

5つのパンと2匹の魚の出来事は「受難と復活以外に共通して四福音書に記録された唯一のもの」です(「聖書教育」p33)。考えてみるとこれは大変興味深いことではないでしょうか?福音書にはどれも数多くの出来事やエピソードが書かれていますが、イエスさまの十字架と復活、つまり聖書の根幹のメッセージと並んでただ一つ、全福音書がこぞって記録しているのがこの出来事とは!そう思って読むと、あらためてこの出来事の持つ意味の深さを考えずにはおられません。これは単なる「食べ物が増えるお話」ではないのです。

マルコ福音書は特にこの出来事を使徒たちとイエスさまの関係において描き出しています。すなわち、使徒たちはイエスさまのところに集まって活動報告をしていました。彼らは食事をする間もないほど疲れていたのです。それを見たイエスさまは、彼らに言われました、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行ってしばらく休むがよい。」ところが舟で出かけた一同を待っていたのは、その人里離れた所にも既に先回りしていた群衆の姿でした。

それほどまでもイエスさまの言葉を求めてつめかけた群衆を見てイエスさまは「深く憐れみ」、さっそく教え始められました。弟子たちの思いはどうだったでしょう。「せっかく休みに来たのに、これからやっと食事をしようと思っていたのに…。でもイエスさまが教えておられるのだから仕方ない」、そんな心の声が聞こえてきそうです。だいぶ時がたって夕食の時間になった頃、群衆を解散させ自分たちで食べ物を買いに行かせるようイエスさまに彼らが願ったのは、そんな背景があってのことだったでしょう。ところがイエスさまは思わぬことを言われました。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」…

「ごめんこうむります!」とっさの弟子たちの反応です。「こんなに多くの人々に食べさせるには数百万円分のパンが必要です。どこにそんなお金があるのです?」驚きあわてる弟子たちを前にイエスさまは促されます。「パンはいくつあるのか。見て来なさい。」
調べてみると、そこにあったのは5つのパンと2匹の魚だけでした。イエスさまはそのパンと魚を手に取られます。そして天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちに渡し、配らせました。イエスさまの手から弟子たちの手へ渡されるパンと魚、それらは尽きることがなく人から人へと手渡され、やがてすべての人を満たしていったのです。十字架と復活の出来事と共に全四福音書はこぞって告げています。私たちの限界ある現実はイエスさまのもとに差し出される時、私たちが多くの人々と共に分かち合う祝福の出来事となるのだと。足りなさは問題ではありません。恐れずにイエスさまのもとに差し出して行きましょう。

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