2022年2月6日(日)のメッセージ
だから、目を覚ましていなさい
「その日、その時は、だれも知らない。…父だけがご存知である。」
(マルコによる福音書13章32〜37節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
先日1月30日(日)午後に開催された就任按手式は無事に行うことが出来ました。2時間以上に渡る長時間にも関わらず、137名以上(会堂や複数グループを合わせると150名以上)のzoom参加者が与えられました。コロナ禍で直前までどうなるか分からない中で、宣教をされた相模中央教会の吉田真司先生をはじめ、ご奉仕してくださった方々に心より感謝致します。オンラインでご参加してくださった方々を含めて、すべての皆様に感謝申し上げます。そして協力伝道の輪の中で広がるこの喜びの出来事は、コロナ禍で神さまの祝福の豊かさを実感しました。まさに先日学んだ5千人の給食の奇跡が、現代に生きる私たちに起こったのではないでしょうか。
本日の聖書箇所はマルコによる福音書13章です。タイトルは「だから、目を覚ましなさい」。この「目を覚ます」とは様々な意味がありますが、キリスト教信仰、復活信仰はこの一言に尽きると言っても過言ではありません。弟子たちに「気をつけて目を覚ましていなさい」(33節)とイエスさまは語ります。この言葉は、キリストに従う者の歩み、信仰者の歩みがどのようなものであるべきかを、明確に語っています。キリストに従う者は、この世で目を覚ましているのです。
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」(マルコ32-33 節、暗唱聖句)このようにイエスさまは語られます。「その日」は旧約聖書では「終末論」的な意味を持っています。ここでは人の子の到来の日。つまり、救い主が世に来て、主なる神の救いを成し遂げて下さることが語られています。そして、この終わりの時を忍耐して待つことを教えられていたのです。
終末論については、ルカによる福音書の17章で、ファリサイ派の人が「神の国はいつ来るのかとイエスさまに質問しました。「イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカ17:20-21)」。つまりそれは神の国の王であるキリストが目の前にいること。その出来事は起こされている。そして「すでに」「いまだ」already or not yet間の今、過去を振り返るのでもない、未来を想像するのではない、目の前の人々と共に生きることで十字架復活の主イエス・キリストを見上げながら、ここに私たちは立ち続け揺らされながらも、しっかりと主の日を待ち望む者とされるのです。そして本当に大切な人(主人)を忘れてはいけません。藤沢バプテスト教会も新しくスタートする中で、主なる神に委ね、しっかりと目を覚まして終わりを待ち望みつつ、主なる神の救いの御業に用いられて行くのです。