メッセージ

2022年3月20日(日)のメッセージ

心は燃えていても

「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
(マルコによる福音書14章38節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 伊藤真嗣

いよいよイースターに向けて本格的な雰囲気になってきました。キリスト教会では、イースター前の、日曜日を除く40日間を「レント」、または「受難節」と呼んでいます。「レント」は英語の「Lent」をそのまま音訳した言い方で、「四旬節」とも呼ばれます。そして「受難」とは、主イエス・キリストが十字架によって苦難を引き受けられたことを意味しています。レントの最後の1週間は、特別に「受難週」と呼びます。

「イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく。 『わたしは羊飼いを打つ。 すると、羊は散ってしまう』 と書いてあるからだ。」(27節) 本日のキーワードである「つまずく」という言葉が聖書にはよく出てきます。教会においてもよく使われる言葉です。その意味は「挫折」すること。つまり、イエスさまに従っていくことができなくなること、信仰を失ってしまうことです。信仰の歩みにおける挫折のことを、つまずいて転んでしまうことになぞらえているのです。皆さんも一度はあるのではないでしょうか。

「彼らに言われた。『わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。』」(34節) イエスさまは、ゲッセマネの園で自身の苦しみを告白すると同時に、「目をさましていなさい」、と弟子達に命じられました。これは、差し迫る状況に対して、「心の準備」をしておくことを示します。イエスさまが捕らえられ、十字架につけられる状況がいよいよ目の前に迫っています。41節でイエスさまは「もうこれでいいい。時が来た」と言われますが、「時」はギリシャ語でカイロス(神の時)が使われています。苦しみが過ぎ去るように祈ったイエスさまでしたが、神の沈黙という無言の応答によって「御心のままに」という進むべき道に立たされていくのです。

「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」(28節) 弟子たちは信仰を捨てて一度は散り散りに逃げてしまいました。しかしイエスさまは「あなたがたの信仰がなくならないように」と祈ってくださっています。そして、主は先立たれてガリラヤで待っていてくださっています。わたしたちもまたつまずきの多い者ですが、受難のイエスさまの祈りの中で信仰が守られて、そして復活の約束の上に「立ち上がる」信仰に立たされているのだということを心から感謝したいと思います。

前回のメッセージ