メッセージ

2022年5月15日(日)のメッセージ

神の前で、人々の前で

『その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ」』
(使徒言行録23章11節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 伊藤真嗣

23章1節では、エルサレム伝道で捕らえられたパウロは、騒動の原因を知ろうとする千人隊長がユダヤの最高議会を招集すると、「わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました」(1節)と議員たちの前で死を覚悟しながら、再び弁明し、力強く語ります。

「良心」とは単に道徳的な「良い心」というより、神の目、神を意識する心、神を思いめぐらす心を意味します。神の目を意識した「良心」に従って生きるということが、いまキリスト者にこそ本当に求められているのではないでしょうか。「良心」に従って生きるとは、神の言葉に徹底的に服従して、具体的な「生活」の場を生きることに他なりません。

「その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」」(11節)
「証しする」とは、ギリシア語で「マルチュレオー」で「殉教する」という意味があります。パウロは最高法院で人々や祭司アナニアの前で弁明し、死を覚悟し、命懸けでイエス・キリストを述べ伝えるのです。

生まれながらのローマ市民、ファリサイ派であったパウロの人生は「証し」そのものでした。パウロはかつてはキリスト者を迫害する立場で、しかも全力で律法に生きていました。そんな彼が、ダマスコで目が見えなくなり、復活の主と出会い、自分の罪の過ちに気づいた時、彼の人生は180度人生が転換しました。

パウロは「我が道」を行く、自分の人生は自分のもので、自分で切り開いていくものだという歩みでした。しかし、ダマスコ途上で主と出会い、going my wayな「わが道」から「主の道」へと方向転換することによって新しい道が与えられました。

11節ではパウロは主から「勇気を出せ」と語りかけられました。私たちも主イエスによって変えられ救われましたが、目の前の困難につまずいてしまう時があります。しかし主の「勇気を出せ」との言葉から今一度新しく歩み出すのです。

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