メッセージ

2022年6月12日(日)のメッセージ

今や、明らかにされた

「知恵と知識のすべて、キリストの内に隠れています。」
(コロサイ信徒への手紙2章3節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 伊藤真嗣

本日は花の日です。花の日の由来は、1856年、アメリカ・マサチューセッツ州の教会で子どもを集めての特別な礼拝を行ったことが始まりと言われています。日本には明治中頃に伝わったとされています。
人々は花を持ち寄って礼拝堂を飾り、その花を持って病気の人を訪ねて慰めるようになりました。本日は午前中にCS青年少年少女会で花を警察署、JA農協、消防署などに花をプレゼントしましたが、相手(地域)への感謝や思いを表わすよい機会となりました。私たちの心も礼拝も豊かにしてくれる花、準備に感謝してこれからも大切な日として過ごしたいと思います。

コロサイの信徒への手紙は4章と短く、他の獄中書簡と比べてより教訓的で堅い書だという印象も受けますが、教会は決して整えられたものではなく、問題を持ちながら、その中で本当の教会に大切なことを見分け、「本当の声」を聞いていくことが大事ということをコロサイから教えられます。

「今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。」(24節)コロサイ教会を立て上げたエパフラスはローマの獄中にいる囚人パウロを訪ね、コロサイ教会の問題(グノーシス主義)について相談を行い、パウロはその要請を受けて手紙を書きました。

24節でパウロは教会は「キリストの体である」と語ります。パウロは自分が苦しむことを通してもキリストの苦しみにあずかり、キリストの福音を届けることできることを彼は「喜び」としたのです。
私たちは「傷付きたくないし、傷付けたくない」ためにどうしても、自分を優先したり守ってしまうことがあります。しかし他者の痛みや苦しみさえもキリスト者・教会として喜びに変えられる力があります。その力がキリストの内に秘められた力として明らかにされます。
そして、改めて花の日を迎えて、愛する家族、友人、さまざまな人々と共に、神さまとの関係の中に入れられて、自分達の喜びを伝えることが出来ますように。

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