メッセージ

2022年6月19日(日)のメッセージ

一緒に困る教会

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
(ローマの信徒への手紙‬ 12章15節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 伊藤真嗣

本日は特別伝道礼拝です。こうして特別伝道礼拝の時を持てることを感謝致します。改めて、私、当教会の牧師の伊藤真嗣と申します。介護福祉士と牧師をする「兼職牧師」です。野球の大谷翔平選手のように現代のキリスト教会でも二刀流(兼職や兼牧)など多様な働き方が出てきました。兼職とは本来の職種とは別の仕事を持つことを言いますが、しかし私は2つの仕事は神さまから与えられた大切な働きで、これらは繋がっていると思います。これからも牧会者として誠実に仕えていきたいと思います。

藤沢の地は人口44万人。湘南に位置する自然豊かな街です。藤沢バプテスト教会はこの地に立って今年で伝道開始61周年を迎えました。私たちは地域社会の中で共に歩んでいきたいと願っています。そして、バプテスト教会はこの「聞く」ことを大切にする教派です。私も介護福祉士としての経験(障がい者・児童福祉)を活かして、社会や地域に取り残された小さな声を聴きつつ、コロナ禍でたくさんの方々と出会い共に歩んでいきたいと思います。

今日の聖書には、《喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい》(15節)という言葉があります。この「共に喜び、共に泣く」は、共生社会を目指す最適なキャッチ・コピーだと思いますが、聖書の言う「共に喜び、共に泣く」とは、どのようなことでしょうか。 教会は誰と共に生きるか問われています。キリスト教では家族、友人、仲間など「共に喜び、共に泣く」のは仲間内限定のことだけではなく、目に見えない隣人のために祈ることも教えられます。しかし現実的には、なかなか他人のことが喜べない状況があります。

しかし逆に教会は『みんなで一緒に困る』という運命共同体みたいなところもあります。教会も「助けて」、「困る」と言っていいのです。
「共に生きる」と 言うことは、実は「共に困る」ことなのです。「みんなで困っていい」みんなで運命共同体みたいに一緒に困る。困るけど、私はあなたを受け入れ、一緒に過ごす。共に笑い喜び時に共に泣く。障がい者が側にいるとき、自分は何もしないバリアフリーの社会の中で共に生きることではなくて、お互いの人と人との関係を作りながら「一緒に困って生きる。」それが「共に生きる」ことなのです。癒し、優しさ、喜びはそこにあったのです。困った状況を前にしたときこそ、 互いに悩みながら、補い合いながら、助け合って生きる場所が「教会」なのです。

障がい者も健常者も、大人も子どもも、外国人も日本人も、みんなが共に生きる時に、 その周りには「困ること」がいっぱいあります。その困ることを目の前にしたとき、 排除や無関心ではなく「共に喜び、共に泣く」それが、聖書からのメッセージなのです。

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