メッセージ

2022年6月26日(日)のメッセージ

祈りの輪の中で

「いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。」
(コロサイの信徒への手紙 4章6節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 伊藤真嗣

本日は命どぅの宝の礼拝を共に捧げています。1972年5月15日、サンフランシスコ講和条約によって米軍の占領下に置かれ続けて来た沖縄が日本に「返還」されました。今年は、その50 年目にあたります。朝ドラの「ちむどんどん」も「本土復帰」50 年を意識して製作・放映されています。「ちむどんどん」とは心がワクワク、ドキドキするという意味ですが、沖罠返還50年という月日は日本にとってどのような時だったのでしょうか。

沖縄の人々が望んでいた内容とは違い、現在も多くの基地が残され(日本にある米軍基地の70%が沖縄に集中し、沖縄本島では総面積の15%を占める)、日常的に米軍基地による環境汚染や騒音、米兵による事件、事故などの被害が後を絶たないからです。本土防衛のために沖縄は捨て石にされ、今も県民の反対を押し切って辺野古新基地建設が進められ、南西諸島に自衛隊のミサイル基地が配備されていることに、再び沖縄が捨て石にされるのではないかと、大きな不安や憤りを感じています。

かつては沖縄県は、琉球王国と呼ばれる平和の島でしたが、「琉球処分」と言われる琉球藩の廃して沖縄県を配置したことで、琉球王国の約450年にわたる歴史は幕を閉じました。また太平洋戦争では県民の4人に1人を沖縄戦で失うという悲しみを経験している故に、「命(ぬち)どぅ宝、絶対に戦争してはいけない」という問いは本土の私たちへの問いかけです。非暴力運動に生きる沖縄の人々と共に声を上げていかなければいけません。

「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。 同時にわたしたちのためにも祈ってください。」(2節)と本日の聖書箇所でパウロは、この手紙での最後の勧めとして、「お互いの祈りの連帯と祈り続けること」の大切さについて教えています。私たちの信仰生活の原動力は、「祈り」にあります。しかし祈ってもなかなか現実的には自分の願いや状況は変わりません。特に平和の問題はウクライナとロシアの戦争のように解決には困難さを抱えます。また沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦犠牲者らを悼む慰霊の日を迎えました。沖縄だけではなく、現在のウクライナやミャンマー情勢など、世界にはさまざまな問題が山積みです。その解決には人や命を大切にする視点が必要なのです。私たちの祈りは「力」となって働きます。祈りの輪が広がり、真の平和シャロームが実現することを心から祈ります。

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