2022年7月17日(日)のメッセージ
でっかい愛がうれしくて
「神の満ち溢れる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。」
(エフェソの信徒への手紙 3章19節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
14節からはパウロの壮大な祈りです。タイトルのように、「でっかい愛がうれしくて」が印象的ですが、パウロの語る愛とは何でしょう。
先週も学びましたが、人間の罪の問題は国の内外ではなく、人々の内側にありました。ウクライナとロシアの戦争も、本当の問題は外国からの脅威があることではなく、弱い立場の人を大事にする気持ちがないこと、いわば愛がないこと、思いやりがないこと、それが問題なのです。
私たちの教会も一番の問題は愛があるかどうかなのではないでしょうか。新しい人が来ないとか献金がないと続かないとかいうことばかり気にしている。そんな風に外の人が来るか来ないかということ外のことばかりを気にして、誰も来ないと思って元気をなくしている。でも、教会に愛があるのかどうか、思いやりがあるのかどうか、そっちの方が余程問題なんだ、本当に大事なのは内側なんだと言われているような気がしています。
コロナ禍で私たちはついつい来れない人や少なくなった人の数ばかり数えてしまいますが、一緒に礼拝している人、また礼拝に来てなくても一緒に聖書の言葉を聞く人のこと、心配してお祈りをしている人のこと、そして同じ時を一緒に生きている様々な人のこと、そんな色々な人達のことを大事にしているのか、愛しているのか、そうパウロは問いかけているように思えます。
「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し」(18節)
神さまがどれほど私たちを愛しているのか、みんなを包む「でっかい愛」を感謝いたします。そのことを私たちに知らせて、また私たちを今も愛してくださっています。そのイエスさまの声を聞いていきながら、この愛をしっかりと受けていきたいと思います。