メッセージ

2022年7月31日(日)のメッセージ

愛されている子ども

「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣うものとなりなさい。」
(エフェソの信徒への手紙 5章1節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 伊藤真嗣

5章1節は、4章からの続きになっています。4章1節には、「そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩みなさい」(4章1節)というものでした。囚人パウロの勧めです。

2節以降、「神に倣うこと」とは、「愛のうちに歩む」(2節)こと、「光の子どもとして歩む」(8節)こと、そして「賢く歩むこと」(15節)だと語ります。不品行なことを口にさえ出してはならないこと、暗やみのわざを光を「明るみ」にすること、そして、「主の御心」とは何かをよく悟ることが大切なのだと語ります。なかなか難しいパウロの「信仰の歩みのススメ」ですが、私たちはいつも自分を主語にして自己中心的な生き方であると気付かされます。しかし私たちは、主語は神さまであることを常に考えて、神を基準として、キリスト者として歩んでいるかを吟味しなければいけません。

特にコロナ禍の中で、私たちは自分達の健康や生活を守ることばかりに目を向いてしまいます。当初はマスクをしない人がいたら距離を空けるし、コロナ警察と呼ばれたほどにいつも周囲の人を気にして神経質に過ごしていました。最近ではコロナ感染症増加で、帰省と旅行を見合わせる人も増えています。しかしだからこそ、「無分別なものにはならず」(17節)、神さまに立ち返り、他者への愛を持つ生き方へと問われています。

「答え」がないからこそ、自分の正しさを自己絶対化せずに、手を伸ばして主に御心を委ねていきたいと思います。

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