2022年8月14日(日)のメッセージ
平和のきずなー霊による一致
「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」
(エフェソの信徒への手紙 4章3節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
本日は平和礼拝を共にお捧げ致します。戦後77年を迎え、日本社会を取り巻く状況も大きく変化してきました。本日の聖書箇所でパウロはタイトルにもある「平和のきずな―霊による一致」を書いていますが、今、教会はどのような平和を求め伝えていくべきか。このエフェソの信徒への手紙はそのことについて大きな指針を与えています。
パウロはこの4章の最初で、「神に招かれたのです」(1節)と言っています。招かれるにはあまりにも価しないような者であるにも拘わらず、招かれた者なのだということ、招かれるはずもないけれど、招いていただいたということをまずしっかりと受け取らなくてはなりません。
信仰とは、「私たちの心の問題」「私たちの心の持ち方」というようなものではありません。わたしたちの気持ちは時にぐらぐらするし、弱くなります。しかし、そのような自分の心理状態とは関係なく、神さまは真実である。どんな時でも、「キリストはわたしたちの平和である」 (2,14) という根源的な事実は揺るがないのです。このことを信じる。これが信仰なのです。
「平和をつくり出す人たちは、さいわいである。彼らは神の子と呼ばれるであろう。。」(マタイ5:9)
現在、世界では様々な問題が起こっていることを覚えます。ウクライナロシアとの戦争はもちろん。テロによる治安の悪化、犯罪の萬栄、地震や台風などの災害、世界の貧困など世界は平和とはほど遠い現状なのだと改めて知ります。わたしたちは本当に隣人や世界の人々を思っているか。そしてイエスさまの時代からそのような現実はあって、互いに見て見ぬふりをしてきたのではないか。今新ためて平和を誓いましょう。互いに痛みを重荷を担い合い、真の平和を求め続ける努力をし続けなければいけないのです。私たちは神に仕える者として、シャロームに入れられています。エフェソの手紙、パウロはシャローム(真の平和)を実現しましょう、と言っています。だからこそ教会こそが、「平和のきずなー霊による一致」という本当のシャロームの状態を実現し、語っていくべきなのです。