メッセージ

2023年2月5日(日)のメッセージ

イエスの涙、イエスの怒り

「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」
(イザヤ書 56章7節:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)

牧師 伊藤真嗣

本日は信教の自由の日を守る日の礼拝として、平和をテーマにルカのイエスさまの物語を読みます。19章41節ではエルサレムに近づいて、いよいよ都が見えてきました。今、イエス様たちはオリーブ畑という山にいます。この場所で、イエスさまが「泣いた」ということが記されています。なぜイエスさまは泣いたのでしょうか。誰のために大声で泣いたのでしょうか。

「神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」(44)。この「訪れる」という言葉は、原文では、「心にかける」とも訳せる言葉です。イエスさま自身が泣いている私たちのことを心にかけてくださって、私たちを訪れてくださって、共に「涙いて」くださる方なのです。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマの信徒への手紙 12:15)

一方イエスさまだ「怒った」記事があります。45節でイエスさまは礼拝で商売をして強盗の巣にするような行為を批判し、ファリサイ派やイスラエルの人々に怒り毅然とした態度を示しました。本日は「信教の自由を守る日」の礼拝となります。午後の研修会も関連しますが、バプテストは歴史的にも「信教の自由」という、誰にも強制されない「自由」で「自覚的な」信仰を持つことを大切に守ってきたグループです。イエスさまのような「正しい怒り」を持ちながら、社会・地域の中で連帯して平和(シャローム)の実現を私たちは託されているのです。

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