2023年3月19日(日)のメッセージ
受難節④「捨てられた石が親石となる」
「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。」
(ルカによる福音書 20章17節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
宣教部長代行 坂元幸子
受難節も第4主日となりました。子ろばに乗ってエルサレムに入場されたイエスさまは十字架に向かう日々を神殿の境内で民衆に教えながらすごしておられました。イエスさまの語られる「ぶどう園と農夫のたとえ」には他のたとえ話とは異なる緊張感が満ちています。
ふどう園を農夫たちに委ねて旅に出た主人は、季節ごとにしもべを送ってぶどうの収穫を納めさせました。ところが農夫たちは、自分たちが丹精こめたぶどうを手渡すのが惜しくなったのでしょうか、収穫を納めるどころかしもべを袋だたきにしてから手で追い返したのです。主人は続けて二人のしもべを送りましたが、農夫たちは繰り返し同じことをしました。しかもしもべを「侮辱して」(11節)「傷を負わせて」(12節)とどんどんエスカレートしています。困り果てた主人は愛する息子を自分の代わりに送ることを決意しました。しかし農夫たちは、後継ぎを殺してしまえば相続財産は自分たちのものになると考え、息子をぶどう園の外に放り出し、殺してしまったのです。イエスさまは問いかけます。「ぶどう園の主人はこの農夫たちをどうするだろうか。彼らを殺してぶどう園を他の人たちに与えるに違いない。」(16節)なんとも恐ろしい血で血を洗う抗争、これが神の国のたとえとは、民衆が「そんなことがあってはなりません」と震え上がったのも当然です。しかしここでイエスさまが告げておられたのはまさにこれからご自分の身に起ころうとしていたことでした。
「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。」(17節、詩篇118:22より) 家づくりのプロである大工たちが使えないと捨てた石、不要として投げ捨てた石が最も重要かつ必要な隅の親石となった。これこそが十字架の出来事でした。律法学者や祭司長たちの宗教的常識人、また扇動されやすい民衆からは捨てられ、追い出されたイエスさまこそが、まさに神の国を建て上げるまことの親石となったのです。
「この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に作り上げられるようにしなさい。」(Ⅰペトロ2:3~5)