2023年7月9日(日)のメッセージ
創造の完成と休息
「見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。」
(創世記 1章31節:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)
牧師 伊藤真嗣
創世記は1章26節から、人の創造を記します。「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」(1:27)。ここでは「創造された」と言う言葉が3回も強調して用いられています。つまり、天と地を造られた後、神は最後にご自分に似せた者として「我々にかたどり、我々に似せて、人を造った」(26)のは、明確な「目的」をもって創造されたものだと理解することが出来ます。
続く2章2.3節に出てくる「安息なさった」というフレーズは、ヘブライ語で「シャーパト」という言葉が使われていて、これは積極的に「止む、終わる」という言葉を持っている言葉です。創造の業を止めた「安息日」は単なる世の中的な「休日」を意味するのではありません。日曜日のこの主の安息日、休むことは、何もしない訳ではなく、神の強い意志のもとの「安息日」を意味します。
人も神さまとの交わりの中で、共に「休む」必要があります。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書 11:28)イエスさまはすべての人々を休息と救いに招かれておられます。そして6日間の創造を終えて、最後に神さまは休まれます。神さまの創造の完成と休息(タイトル)の中にこそ7日目の「希望」があるのです。