メッセージ

2023年7月16日(日)のメッセージ

命の息を吹き込まれ

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」
(創世記‬ ‭2‬章7節‬‬‬‬:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)

牧師 伊藤真嗣

前回から続く2章からは、私たち人間が創造されます。人を創造するのに「土の塵」が材料です。「塵」は価値ないものを示しますが、宇宙の星々も「塵」が集まって始まったという学者の推測を聞くと「塵」も積もればすごいことです。しかし、「塵」は「塵」。そこに主が「命の息」を吹き込むことによって人間は「生きる者」になります。そして聖書では「神の息」をヘブライ語でルーアッハ「霊」「風」、あるいは「聖霊」とも訳されます。神の息を吹き入れられて私たちは独自の命の音を奏でるのです。

18節の「彼に合う助ける者」とは「向き合う存在」とも訳すことができます。私たちは1人では生きられません。神さまが「命の息を吹き込まれて」(タイトル)神様から愛された造られた存在として互いに主に向き合って歩みながら、このエデンの園の豊かな水から湧き出て、4つの源流から世界へと福音を述べ伝えていきましょう。

新約聖書においても、ヨハネ福音書でイエスさまは御霊による新生を「風」や「息」というシンボルで表現されています。(ヨハネ3:5-8)それは「神のいのち」そのものです。人間は神と関わり「向き合いながら」歩む存在となり、こうして、共に人生に寄り添ってくださる主に感謝したいと思います。

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