2023年9月24日(日)のメッセージ
バベルと呼ばれた町
「主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされた。」
(創世記 11章9節:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)
牧師 伊藤真嗣
本日はあの有名な「バベルの塔」の物語になります。この箇所は、「バベルの塔」の物語として知られています。物語の始め、世界中の人たちが「同じ言葉を使って、同じように話していた」といいます(1)。それは単に言葉が同じだったというだけではなく、一つの価値観を共有しており、同じように考え、同じように行動した、ということでしょう。人と人の間に違いはなく、一つの民であった、ということです。
「全地に散らされることのないように」するためでした(4)。散らされること、バラバラになることを恐れたのです。強大な力のもとでは違いが失われ、人々は一つにまとめられます。逆にいえば、一つになることで大きな力をもつことができます。一つになるといっても、それはみんなが同じになることではなくて、誰かに力を集めていくことです。違いをもった人々を取り込んでいって、同じようなものにしていくことで、より大きな力をもつことができます。
教会も同じです。私たち人間は神様によって、違いをもつように創られました。違いがある方が望ましいのです。時代や社会は変化をしていきます。大小様々な集団も変化に晒されます。そのときに、みんな同じであるよりも、違いをもっている方が、形を変えながらでも続いていくことができるのです。