2023年10月8日(日)のメッセージ
神の悲しみ
「わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。」
(イザヤ書 5章4節:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)
牧師 伊藤真嗣
イザヤ書5章は、有名な「ぶどう畑の歌」です。「わたしは歌おう、わたしの愛する者のために そのぶどう畑の愛の歌を。 わたしの愛する者は、肥沃な丘に ぶどう畑を持っていた。」(1節)ここでは、イスラエルがぶどう畑に、神がぶどう畑の「所有者」に譬えられています。そのぶどう畑が、期待通りの実を結ばないと裁きを受けるいう歌です。
しかし1節にあるように、神さまはイスラエルを愛してくださってるのです。よく旧約聖書は「怖い(裁きの)神」で新約聖書は優しい「愛の神」だということを聞くことがありますが、そうではありません。聖書の神は一貫して「愛の神」です。ここに表れている神さまの姿を見るとそれがよく示されています。神さまはどこまでも「愛」ある方であって、イスラエルのためにはこんなにも手をかけ、足をかけて養っておられたのです。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書15章5節)私たちもイエスさまにとどまって、見せかけでない本物の実を結ぶ者になりましょう。イエスさまは私たちと繋がり励ましてくださいます。私たちはいつもそうした神さまの励ましの声を聞いて、神さまの期待を感じながら、そのことばに深く根を下ろして、生ける神と交わることによって、豊かな実を結ぶ者でありたいと思います。