メッセージ

2023年10月22日(日)のメッセージ

神の和

「わたしを砦と頼む者は わたしと和解するがよい。」
(イザヤ書‬ ‭27章5節‬:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)

牧師 伊藤真嗣

「その日が来ると、ユーフラテスの流れからエジプトの大河まで主は穂を打つように打たれる。しかし、イスラエルの人々よ、あなたたちは、一人一人拾い集められる」。(12)

前回まで5章から連続して「ぶどう畑」の例が出てきました。それは「喜び」ではなく、「呪い」の歌でした。イザヤはかつて「実を結ばないブドウ畑」の歌を歌い、主に不実なイスラエルを批判しました。良いぶどうを植えたのに、実ったのは酸っぱいぶどうであったと。

先週は中野バプテスト教会の坂元幸子牧師から宣教をして頂きました。 イザヤ書は預言者イザヤのイスラエルへの裁きと警告の面もありますが、神さまの愛したぶどう畑であったイスラエルの民が神さまから離れることを嘆き悲しむ神さまの「痛み」の箇所とも呼ばれているそうです。そしてヘブライ語の「ミシュパト」は、裁きではなく、神さまの「公正」という意味があります。すべての人々に神さまの公正があるのです。

本日の6節でも、「時が来れば」(6)という預言の言葉があります。人間と神さまと「和解する時」とはいつなのでしょう。そしてその神の時には時間がかかるし、またすぐ目で見える形で出てこないのがやっかいです。信仰告白も同じく。私たちは、すぐに何か結果がでることを望みます。しかしじっくり時間をかけて見極める必要があります。みんなで取り組む、これは地道な作業です。けれども確実な道です。必ず結果が出てくる方法です。神さまは私たちが神さまのもとに戻ることを待っています。私たちが悔い改めたら、神さまは私たちを癒し、もう一度実を結ぶぶどう畑にします。この礼拝を通して、それを今一度確認する時としましょう!

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