2023年10月29日(日)のメッセージ
共に生きるということ
相模中央キリスト教会 牧師 吉田真司
この世界は「戦」に明け暮れています。共に生きていく世界を望み見るには余りにも無力感を覚えずにはいられない現実があります。しかし無から有を、混沌の世界に創造の秩序を創り出された神様です。その神様の言葉なるイエス・キリストの言葉は、この世の闇を凌駕します。私たちの世界に、そして私たちの心に光を灯してくださるイエス様の言葉を共に聴きましょう。
本日共に聞く御言葉は、イエス様がなさったたとえ話の一つ「善いサマリア人の譬え」です。ある律法の専門家がイエス様を試そうとして質問したことに端を発してイエス様がお話しされた譬え話です。その質問とは「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」(10:25)でした。イエス様とのやり取りの中で、律法の専門家は、それは「神を愛すること」と「自分を愛するように隣人を愛すること」という二つの律法をもって応答します。しかし頭で分かっていても、それを実行できるかどうかは別問題でして、その言行不一致の問題をイエス様は鋭く問いかけなさるのです。そう、問題は「愛をどう実行するか」ということです。
これがイエス様の切り返しです。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる」(10:28)と言われたとおりです。その鋭い問いかけを受けて、律法の専門家はこう返しました。「では、わたしの隣人とはだれですか」(10:29)と。「誰がわたしの隣人ですか」―――イエス様はこの問いの前に、驚愕されたことでしょう。「誰が」ではなく、「あなたが愛した時点で、その人はあなたの隣人になるということです」、イエス様の静かな訴えが聞こえてきます。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)―――このたとえ話を読みながら、この一節が通奏低音のように響いてきました。
「戦」止まないこの世界に、「枠組」をもって利益を追求するこの世界に、「こちら側」と「あちら側」と対峙する構造をわざわざ想定し、あえて紛争を作り出すこの世界に、必要なメッセージは何でしょうか。それは相手を「敵」ではなく、「愛すべき人」として関わり、「隣人」となっていくことです。それがどんなに難しいか、そのことを心底経験している私たちであるからこそ、このイエス様のメッセージが常に新しく感じられます。そして私たちの心を刺し貫く言葉として響くのです。