2024年3月3日(日)のメッセージ
わたしはまことのぶどうの木
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」
(ヨハネによる福音書 15章5節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」(1)
1節でイエスさまは、ご自分をぶどうの木に、弟子たちをぶどうの枝に、そして父なる神を農夫にたとえます。ガーデニングというのは、植物を育てるには手がかかりますが、神さまという農夫もこんなふうに手間暇かけて「わたしたち」という枝の手入れをして下さっているのではないでしょうか。なかなかスムーズに育ちません。手間がかかります。しかし、「農夫は諦めません。」虫がついて花や葉が汚くなってしまっても、その木に水をやり。また新たな芽が出て、美しい花を咲かせることを知っているからです。その姿を思い浮かべながら水をやり続け、汚い葉を取り除き、虫を退治するのです。
このように、私たちは、自分の失敗や罪、心の汚さを見ると、神樣の恵みが分からなくなってしまいます。こんな自分には神様の恵みは来ないのではないか。神様は自分から離れて行かれるのではないかと。私たちは虫に食われているかもしれません。葉も汚くなってしまっているかも知れません。しかし、神様は私たちに水を注ぎ続け、汚くなった葉を取り除き、虫を退治してくださるのです。やがて新しい芽が出、美しい花が咲く姿を思い浮かべながら、「命」を注ぎ続けてくださる神様がいる。神樣の温かい眼差しは日々私たちの上に注がれ、神様の御手は日々私たちに伸ばされているのです。
「大切なのは成長させてくださる神です。」(1コリント3:7)良い実を結ぶ秘訣は、やっぱり愛情です。心を配り、目をかけてその花一つ一つをいつも見つめてあげる。神様がわたしたち一人一人を愛情あふれる「まなざし」を常に注いでくださっていることに感謝しましょう。