メッセージ

2024年8月4日(日)のメッセージ

主の山―弟子として
任命された者たち

「イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。」
(ルカによる福音書 6章12節‬‬‬‬:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 伊藤真嗣

井置利男先生(天城山荘のチャプレンだった)季刊誌「あまぎ」より
「今の季節、ここ天城山荘にはさまざまな花が咲き乱れて、お客様方をお迎えしております。それにしても、野の花はどうしてこんなに美しく咲くのでしょうか。」
以前、幼稚園の子どもたちに尋ねたところ、「それは僕たちが喜ぶから」と言下(げんか)に答えた男の子がいました。(中略)しかし、花は人を喜ばせるためだけに咲いているわけではありません。人を近づかせない人跡未踏(じんせきみとう)の高山にも花は咲くからです。このことについてイスラエルの詩人は「香り高い花も、人の目にも留まらない高山に咲く花も、創造主なる神の御目を喜ばせるために咲く」のだと言っております。(中略)それにしても、この世のものとも思えぬこの美しい花が、なぜ未練げもなく短命に終わってしまうのでしょうか。人の目を喜ばせ、神をお喜ばせするなら、いま少し長く咲いてもよいのではありませんか。思うに花は、この世のどんな美しいものでも、たとえそれが芸術であれ、友情であれ、富であったとしても、それらが地上のものである限り、滅び行くものであって、決して人生の拠り所とするものでないことを示しているのではないでしょうか。」

『人は皆、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることはない』(Ⅰペテロ 1:24)

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