2024年11月10日(日)のメッセージ
ずっと背負われてきた
「わたしは初めから既に、先のことを告げ まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。わたしの計画は必ず成りわたしは望むことをすべて実行する。」
(イザヤ書 46章10節:日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書)
牧師 伊藤真嗣
本日の聖書はよく高齢者祝福式でも語られる聖書箇所ですが、聖書の中にも、年を重ねた人を敬うことや、高齢者の祝福について語られている個所がいくつもあります。今日の箇所も、老いる日まで、白髪になるまで背負って行こう、という神様の約束が告げられています。当時、バビロニア捕囚時代には捕虜として連れて来られた沢山のイスラエルの人々がいました。2500年以上前、困難の中で背負いきれない重荷を負わされ、国を追われて出口の見えない先に「主の希望」を見出したのです。
「あなたたちは生まれた時から負われ胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ46:3-4)
「召天者」とは、「神さまによって天に召された人たち」のことで、先に天に召された39名の方々の名前を、本日の礼拝の中で一人ひとり読み上げます。それぞれの命にそれぞれ様々なドラマがあるわけですが、神さまの目には、そのどの命も、決して欠かすことのできない命として映っていると、聖書は宣言します。私たちの目にどんな人生だと映ろうとも、神さまの前には欠かすことのできぬ命であるのだということを覚えつつ、今日の礼拝を過ごしましょう。