メッセージ

2024年12月1日(日)のメッセージ

神が赦してくださったから

「わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。」
(マタイによる福音書 6章12節‬‬‬‬‬:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 伊藤真嗣

「主の祈り」の一番大きな違いはというと、私たちが唱える「主の祈り」では「罪の赦し」であるのに対して、マタイ福音書の方は「負い目の赦し」を祈っています。

罪の負い目の原語は「オファイレイマ」。これは借財つまりもともとはお金を借りたという意味の言葉なのですが、聖書の語る「負い目」とは、「罪を犯した」ことを指しています。

「罪」が「負い目」という言葉で言い表されています。口語訳聖書では「負債」と訳されますが、罪を犯すことにおいても、罪に対しての「償い」が求められます。まず神の側が「罪を赦す」という宣言をされたのです。

私達はなかなか自分や他者を赦すことのできない者ですが、主イエスがこの地に来られたことで、私達がまずこの「赦し」をいただいたことによって、そのことが成しえるのです。選びも、愛も、赦しも、奉仕も、全て「始まり」は神さまの側にあるのです。「わたしたちが神を愛したのではなく、神が私達を愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。

「ここに愛があります」(Ⅰヨハネ4:10)アドベントが始まりました。今年も主のご降誕を待ち望みつつ、キリストの恵みに共に預かりましょう!

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