メッセージ

2025年3月9日(日)のメッセージ

神さまの業が現わされる

「イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』」
(ヨハネによる福音書 9章3節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)

牧師 伊藤真嗣

本日は東日本大震災を覚える礼拝です。14年前の2011年3月11日に起きた東日本大震災では多くの方が亡くなり、被災されました。そのことを覚えて共に祈りを捧げたい思います。また当時、東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故で、原発による影響により多くの方が避難を余儀なくされました。「どうして神様はこのような災害を起こされたのか。」

その問いが、本日の聖書でも、弟子たちもまた同じように、イエス様に問いかけています。ヨハネ福音書9章1節冒頭には、イエスさまと弟子達の前に通りかかった目の前には、生まれつき目が見えずに、物乞いをして生きるよりないという不幸な人がいます。この「不条理」は、なぜ起こるのか。なぜこの人にこんな不幸な生涯が与えられているのか、納得できる答えを示してほしいと願って、イエス様に問いかけています。その問いに対するイエスさまの答えが中心聖句の言葉です。

私たちは何でも理由や答えを求めたがります。しかしこの人の「不幸の意味」を、「目的」を考えなさい。この目見えぬ人の確かに不幸なこの状態を、神がどのように用いられるか、この人を通して神はこれから何をなそうとしておられるのか、その神の「未来に目を向けなさい」。それがイエスさまが与えてくださる「新しい物の視点」です。

神は苦しむ私にまず「近づいて」くださり、「抱きしめて」くださいます。そして、神の未来を示してくださいます。あきらめしか見えない人間に、神の見ている希望を見させてくださって、前へ、未来へと目を向けさせる。その人に与えられた苦悩の「意味」を教えてくれます。東日本大震災から14年、これからも私たちにも問われ続けるのです。

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